月別アーカイブ: 2018年6月

●実はアイドルとしてデビュー

すでに有名だったあびる優、酒井彩名の

ユニットに参加するオーディションに合格し、

2002年、アイドルユニット「Licca」のメンバーとしてデビュー

 

ニュースターオーディションの第一回グランプリを獲得したが、

その後、第二回は開催されていない

 

審査内容は、水着と歌

水着がエッチな目線で見られることを全く知らなかった木南は、

特技を聞かれ、「バレエをやっていたので体が柔らかいです。180度 開脚できます」とアピール

水着のまま180度 開脚。

 

翌日のスポーツ紙に掲載されたという

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生活の全ての悩みを占い師に電話して相談している

占い師に相談しないと不安で生きていけないという

 

例えば、

1、パソコンを買うならビックカメラかヤマダ電機 どちらがいいですか?

 

2、トイレットペーパーは、シングルかダブルどっち?

 

3、ブリ大根が上手く作れなかった時も占い師に電話で相談

普通に作って食べてみると美味しいには美味しかったがイマイチだった

霊視で占う玄海先生に「イマイチ上手く作れないんです」と相談

「ポイントとしてはお酢を少し入れてご覧なさい」

すると味がまろやかになり美味しくなったという

 

4、いらない服をメルカリで売る値段は?

と霊視 霊感で占う香帆先生に相談

すると「洋服があなたにお礼がしたい、6000円で取引をしたいと言っています」と回答

6000円で売れたが、占い料に5040円がかかっていた

 

5、夕飯、何を作るか悩んでいます

とルーンストーン占いのゆうこ先生に相談

すると「クックパッドが便利だよ」と回答

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1998年、長野五輪 スピードスケート500mで金メダルを獲得した清水宏保

2010年、35歳で現役を引退

引退後、タレント活動をしていただが、

モデル女性と結婚するも不倫スキャンダル報道に見舞われ、

離婚し、世間から姿を消した

 

その後は、外車を売り、家賃4万円台のワンルームマンションで暮らしていた

 

2016年にオープンした清水が経営するフィットネススタジオ TWO SEVEN BODY

現在会員数は200名以上で、普通のジムより圧倒的に高齢者が多い

その理由は、メディカルフィットネス

病院のリハビリは日数が限られており、リハビリ難民を救済している

スタッフも理学療法士など国家資格を持つ人を採用している

ゴースト会員を増やさないために完全予約制に

 

2013年、たった5人でスタートした会社が、社員40名を抱える規模に成長

 

ジム以外にも通所介護施設リボンリハビリセンターも経営

サービス付き高齢者住宅を建設中

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将棋界を唯一 自ら退会した天才棋士:永作芳也

棋士番号139

 

高校を中退し、棋士になるため上京

24歳でプロ棋士に昇格

しかしプロになって8年目、1987年5月 NHK杯トーナメント

16歳の少年棋士:羽生善治と対戦し、敗退

その翌年、自らの意思で将棋連盟を退会した

 

その後、30の職を転々とし、

会社を2つ立ち上げたが、残ったのは借金だけだった

地元茨木に帰った永作は、母親の介護の面倒を見ることに

 

母親の介護を終えた永作は、

2017年、小学生対象の将棋教室を開いた

そのきっかけは、藤井聡太のブレイクだった

 

天才羽生によって将棋から30年離れていた永作は、

天才藤井の活躍をきっかけに再び将棋の世界に戻ってきた

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身長192㎝、体重165㎏という恵まれた体格

入門前は柔道をしており、高校時代には全国制覇

アトランタ五輪の日本代表候補に選出

将来の横綱を約束され、鳴り物入りで相撲界へ

入門4年目で十両優勝

22歳で年収は2000万円

世間は若貴以来の日本人横綱を期待するようになった

しかし若ノ城は、ある理由で突然勝てなくなり31歳で引退した

 

●天才力士:若ノ城は今…糖尿病で生死をさまよい介護士に転身

茶話本舗デイサービス花咲で朝7時~夕方5時まで週5日働いている

現在、8歳年下の妻:真理さん、長男:宋哉くんと3人暮らし

 

当時、身体を作るために食べていたのは、米1升

そんな食生活が原因で、18歳で糖尿病2型を発症

それでも体重を増やすために1升の米を毎日食べ続けた

その裏では1日2回インスリン注射を打ち、糖尿病を抑えていた

そんな状況の中、入門4年目で十両優勝を果たし、前頭6枚目まで昇進

しかし勝てば勝つほど夜の付き合いが増えていく

すると糖尿病が悪化し、足の感覚を失い、全く勝てなくなってしまった

10年以上にわたる糖尿病との戦いの末、31歳で引退した

 

サラリーマンとして第二の人生をスタート

慣れないデスクワークにストレスも重なり、糖尿病が悪化

末期症状となる腎臓が壊れ、全く機能しない事態に

5年後の死亡率は70%

母親の腎臓を移植し、病状は安定した

1日に注射を6本、そして1日に飲む薬の量は、20錠

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