あの芸能人は今…」カテゴリーアーカイブ

亜沙かおりは星組の娘役として活躍 、本名は山之内敏子

 

退団後、人気女優として活躍する人もいる一方、

そのほとんどが別の人生を送る

 

元タカラジェンヌのタクシー運転手:亜沙かおり

 

様々な音楽活動をするため、1972年に7年で宝塚を退団

同じく歌手をめざし活動していた光雄さんと結婚

 

6人の子供に恵まれ、幸せな人生を送っていたのだが、

光雄さんが事業に失敗、ほとんど働かなくなった

 

それから元タカラジェンヌの山之内が、

トラック運転手、中華料理店など昼夜を問わず家計を支えた

 

光雄さんは8年前に他界

 

山之内は荏原交通株式会社でタクシー運転手に転職

1日の走行距離は300㎞、売上は常に社内で上位をキープ

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美人ハーフ歌手:サンディー

1979年、「♪ラヴ・スコール」が「ルパン三世」のエンディング曲に抜擢

スペイン人と日本人のハーフという可愛らしい顔立ちでグラビアでも活躍

 

世界的スター:デヴィット・ボウイは、

サンディーを生で観ようとわざわざ日本にライブを観に来たほど

しかし1990年代に入ると芸能活動が減り、表舞台から姿を消した

 

●美人ハーフ歌手:サンディーは今…フラダンサーのカリスマに転身

 

サンディーは今、フランダンス教室の先生に

フラの世界ではかなりの大物

芸能活動休止後、指導者になるためハワイで20年間修行

日本で滅多にいない最高指導者の資格を取得

15年前に東京にフラ教室を開校した

教室は全国に3校あり、生徒は600名以上

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1950年代、日活映画23本で主演を務めた女優:筑波久子

1956年、日活ニューフェイス第3期として芸能界デビュー

同期には小林旭や二谷英明

1957年、映画「肉体の反抗」に主演すると一躍 日活の看板女優になった

しかし1963年、人気絶頂の中、突如 芸能界を引退

 

●日活の看板女優:は今…アメリカで40億円稼ぐハリウッド映画プロデューサーに転身

 

75歳とは思えないド派手なファッションに身を包み、ビックマックを食らう

自宅は海沿いに建つ5LDKの豪邸

両親の暮らしていた実家を10年前に改築

 

1963年、芸能界を引退した後、映画に関わる仕事がしたいと毎日12時間の猛勉強

アメリカのコロンビア大学に留学

1966年、同級生の工業デザイナーと結婚、1人息子を出産

1973年、ハリウッドで念願の映画プロデューサーに

そんな彼女の代表作が1978年に公開された映画「ピラニア」

このプロデューサーの儲けが、4~5億円

さらに続編の「殺人魚フライングキラー」で駆け出しのジェームズ・キャメロンを起用

現在、自宅兼事務所に関係者や製作者を招き、最新作を進行中

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欽ちゃんバンドのギター担当:清水善三

1981年、「なんとなく、クリスタル」で俳優デビュー

1982年、無名ながら「欽ちゃんの週刊金曜日」に大抜擢

 

番組オーディションがあったその日、清水は時代劇の撮影中だった

なんとか欽ちゃんファミリーに入りたかった清水は、

わずかな撮影の合間を縫って、そのままの格好で会場へ

部屋に入るなり、「決まり!もう帰っていいから」

その間10秒、レギュラーに大抜擢された

 

1985年の番組終了と共にテレビから姿を消した

●欽ちゃんファミリーとして活躍した清水善三は今…テニスコーチに転身

 

53年の時、妻の実家の愛媛に夫婦2人ゆっくり余生を過ごしたいと移住

豪邸は間接照明でライトアップされ、まるで料亭のような佇まい

リビング20帖、8mの吹き抜けのダイニングキッチン、広々した3LDK

 

現在、清水はテニスの先生に転身

実は芸能界に入る前、千葉県大会で準優勝するほどの腕前だった

さらに祖父の清水善造は、元世界ランク4位

シニア暮らすとジュニアクラスの計20名の生徒にテニスを教えている

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「太陽にほえろ!」などで人気を博した俳優:高岡健二

1970年、日活の映画で芸能界デビューしたセクシー女優:小川節子

1975年、マスコミが高岡の子を身籠る小川の極秘出産を報じた

その8ヶ月後に高岡と結婚し、そのまま芸能界から姿を消した

●俳優:高岡健二の子を極秘出産した女優:小川節子

1975年、高岡と結婚した小川は、3人の子供を授かったものの

女性関係の噂が絶えない夫と上手くいかなくなり、2004年に離婚

その後、シングルマザーとして子供を育て上げ、現在は一人で暮らしている

 

●C型肝炎ウイルスに感染

1991年、当時40歳 子育てに追われる日々…

胃腸を悪くし病院で血液検査をした後、医師から

「あなたの肝臓はC型肝炎ウイルスに感染していします」と告げられた

血流を介して体内に侵入し、C型肝炎を引き起こす事で肝臓が破壊される

小川はウイルスに感染して10年が経過していた

その原因は、出産時の輸血

 

1991年 当時の医学ではウイルスの完全撃退は困難だった

増殖をおさえ鎮静化させるインターフェロン療法のみ

当時 この療法は人によっては

効果が見込めないことがある上に激しい副作用を伴った

実際 小川も倦怠感が抜けず起き上がると強烈なめまいに襲われる

1日のうち正常でいられるのは合計したら4時間しかなかった

死にたい…湧きおこる自殺願望、いつ発症するか分からない肝臓がん

気が付くと子供宛てに遺書を書いていた

身も心もボロボロになり治療を断念した

 

2009年、国内でC型肝炎ウイルスの新たな治療法が確立

患者の遺伝子のタイプを分析し、一人一人に効果的な治療が可能となった

1年の治療期間を経て体内のウイルスを排除

 

そして仕事ができなかった小川を支え続け、

治療費を出したのは3人の子供たちだった

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