あのニュースの真相」カテゴリーアーカイブ

「クリアしたことがある迷路と誰もクリアしたことがない迷路…どっちをクリアしたいかと言われたら、僕は誰もクリアしたことがない迷路に行きたい」

 

2012年9月、プロ野球志望届提出

日本プロ野球とアメリカのメジャーリーグからオファー

 

2012年10月、メジャー挑戦表明

「メジャーに行きたいと思ったのもおそらく厳しいと思ったから」

 

2012年12月、日本ハムに入団

夢よりも手堅さを選んだかに見えたが、

日本ハムが大谷選手の為に用意した育成プラン:二刀流が彼を動かした

「無理だ」「厳しいのでは?」とも言われたが、そこに迷いはなかった」

 

●二刀流を選んだ大谷翔平のマインド

 

投げても打っても抜きん出て、勉強もでき素直に大人の言葉に耳を傾ける

 

甲子園で活躍した菊池雄星に憧れ、岩手県の花巻東高校に進学

菊池選手のようになりたい、そんな動機だった

そんな考え方を、野球部の佐々木監督は良しとしなかった

「菊池に憧れているうちは菊池に及ばない。見えるものや常識にとらわれていてはいけない」

大谷は佐々木監督と誰も成し遂げていない目標を目指す約束をした

「160キロはいける」と佐々木監督は大谷の背中を押した

それは、アマチュア野球史上 最高球速

 

大谷は読書を通じて、様々な生き方を出会った

中でも惹かれたのは、勝海舟、坂本龍馬、スティーブ・ジョブズ…

古い常識を破り、新しい時代を切り開いた人

「時代を変えてきた人たちの考え方は勉強になる」

 

高校2年生の冬、監督から卒業までの目標を書くための紙を渡された

大谷には監督と約束した160キロという目標があった

「書いたからには達成しなくてはいけない」

“夏の大会までに163キロ出す!”と大谷は書いた

163キロを目標にして最低でも160キロを出す考えだった

そして高校3年生の夏、160キロに到達した

「160キロを書いていたら、158キロで終わっていたかもしれない…」

と振り返った

 

大谷は誰もクリアしたことがない迷路を選んだ

これが大谷のその後の人生のマインドを確立した

 

●平均球速:152.5㎞/h(2014年現在)

メジャーリーグのトップの平均球速が150km/h

リトルリーグ時代から120km/hを出していた

 

●162km/hを投げるヒミツ

投げた後、踏み込む足を後ろに引く事で、

下半身が速く回り、力が最大限ボールに伝わる

 

●恵まれた体

身長:193㎝、腕の長さ:85㎝、胸囲:108㎝、股下:93㎝

柔らかい肩関節

 

●専用の机と椅子を特注

高校時代、足が長すぎる大谷に合う机と椅子がなかったので専用で特注

真面目な生徒だったのに、机に足が収まらず、

大股開いて机の両脇に出すしかなかった

態度が悪いと誤解されてしまうかもしれないと、

工場で鉄の塊で床の設置面にあて底上げして高くしてもらったという

 

●肩甲骨の柔らかさ

2008年に行われた日立3ツアーズ選手権で石川遼が披露した肩甲骨ストレッチ

中学時代、たまたまその模様をテレビで観ていた大谷は、

これは野球にも役に立つと思い、

石川遼を真似て、練習に練習を重ねて自分のモノにした

 

●中学2年まで父親とお風呂に入っていた

小~中学時代、コーチと選手の関係だった父は、

他の選手と同様に厳格に接していた

家に戻ると一転、親子水入らずでコミュニケーションをとる時間を大切にしていた

お風呂場は体や筋肉の成長具合を確認するのにもうってつけ

子供時代、両手打ちだった大谷が、左打ちになったのも

お風呂場での父の一言が決め手となった

 

●高校時代につけていた目標達成用紙

中心に書いているのが、当時大谷が目指した「8球団からドラフト1位を受ける」

その周りには、その夢を実現するためにやるべきことを明記

「体づくり」「コントロール」「キレ」「メンタル」「人間性」「運」「変化球」「スピード160㎞/h」

 

さらにその周りに8つの要素を叶えるためにやるべきことを明記

「スピード160㎞/h」→「軸で回る」「体幹強化」「可動域」「ライナーキャッチボール」「体重増加」「肩周りの強化」「ピッチングを増やす」「下肢の強化」

 

「運」→「あいさつ」「ゴミ拾い」「部屋掃除」「道具を大切に扱う」「プラス思考」「応援される人間になる」「本を読む」「審判さんへの態度」

 

目標を実現させるためにやるべきことを72に細分化し、掲げた

 

●大好物は、クレープ

試合で活躍した日は、コンビニで大好きなクレープを買うという

ストレス発散には大量の甘いものを摂取する

 

●試合中にお腹が空くとケータリングのシャウエッセンを食べる

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爆報!THEフライデーで紹介

●42歳の若さで膀胱がんを発症した竹原慎二

1995年、WBA世界ミドル級チャンピオンに輝いた

しかし翌年、網膜剥離に苦しめられ、初防衛に失敗し 現役を引退

2000年から「ガチンコ!ファイトクラブ」にコーチとして活躍

1997年、会社員の香織さんと結婚

2人の子供にも恵まれ充実した日々を過ごしていた

念願だったマイホームを手に入れたある日、突然の頻尿により

1日10回以上トイレに駆け込むようになった

病院に行くと膀胱炎と診断、そして半年間、膀胱炎の薬を飲み続けた

しかし頻尿の症状は一向におさまらなかった

2013年6月、局部に激痛が走った

用を足す時、熱い塊が出るような感じ

再度病院に駆けつけるも前立腺炎と診断される

2013年大晦日、突然 尿意をもよおしトイレに駆け込んだところ、血尿が

そこで総合病院で精密検査、2014年2月、浸潤性膀胱がんと診断

竹原は2.5㎝の悪性腫瘍ができており摘出が難しい状態だった

42歳の若さで発症したがんは、進行スピードも速かった

竹原は全ての仕事をキャンセル

元WBAスーパーフェザー級チャンピオン:畑山隆則が大学病院を紹介

2013年3月、膀胱がんがリンパ節に転移してしまった

進行度はステージⅢ

2014年3月28日、2か月半にわたり抗がん剤を投与

腫瘍を小さくして膀胱とリンパ節の摘出手術を行う方針を決定

 

妻はがんに関する本を何十冊も読み勉強

担当医と事細かくに相談しながらメモをとり

3冊に及ぶ独自の「がんノート」」を作成

無農薬野菜ががん細胞の抑制に効くと聞けば、地方から取り寄せ、

肉ががん細胞の進行を早めると聞くと動物性たんぱく質を控え、

大豆などの代用肉に差し替えた

さらに調べた民間療法を試した

びわの葉療法:びわの葉と温めたこんにゃくを乗せ体を毎日2時間温める

1本3万円の海藻エキス入りドリンクを12本購入

体の免疫力を高めて、がん細胞を抑制をうたう療法を

計12回 総額400万円かけて夫に受けさせた

 

2014年6月12日、手術は無事成功

妻の献身的な支えで日に日に回復していった

亭主関白だった竹原は、妻に感謝した

「ママが来てくれて助かってます。愛してるよ。大好きだよ。ありがとね」

手術から半年後、初めての精密検査の結果、がんの転移はなかった

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金スマでX JAPAN Toshiの洗脳騒動の真相を本人が語った

●X JAPAN Toshi洗脳騒動の真相

1990年代、日本の音楽シーンを席捲したX JAPAN

CD総売り上げは2100万枚を記録

しかし人気絶頂の最中、Toshiは突然脱退、バンドを解散に追い込んだ

●1965年10月、千葉県 3兄弟の末っ子として生まれた

●1989年4月、Xとしてメジャーデビュー

1992年、日本人初 東京ドーム3日間連続公演

1992年7月、ソロ活動をスタート

それに伴い、個人事務所を立ち上げ、一番上の兄が社長に

まもなく兄は自分が有名人にでもなったかのような態度をとり、

社長業をおろそかにしてToshiのギャラで遊んでばかりだった

その額は莫大なものとなりToshiだけでなく、

X JAPANにも多大な迷惑をかけているという事で社長を解任した

さらに母はXのファンを千葉の自宅に招き入れ、Toshiだけでなく

幼馴染のYOSHIKIの幼い頃のビデオや写真を無断で見せていたという

それでファンからお金をもらった事があるという噂を耳にする事も

1993年、兄の後継ぎとして友人に社長を頼んだが、

大きな金銭トラブルがありお金の事で彼と揉めてしまった

誰もが羨む成功が彼にもたらしたものは最も身近な人々への人間不信だった

●1993年5月、妻となる守谷香との出会い

Toshiが主役を務めるロックオペラ「ハムレット」のヒロイン役オーディション

アピールする女性が多い中、控えめな部分が目立つ女優に目が留まった

Toshiの恋人役として共演する事が決まった女優こそ、

のちに彼の人生を大きく揺るがす事になる守谷香だった

守谷香とは舞台での共演後も友人として関係が続いた

1994年秋、ロスから帰国した時に再会

大粒の涙をためながら優しい言葉をかけ、

直筆メッセージ入りの短冊をToshiに渡した

“死ぬ時は手と手をつなぎ逝きましょう”

それは人間不信に陥っていたToshiの心に沁み渡った

程なくして2人は交際をスタート

●1995年11月、4年ぶりの全国ツアー

X JAPANは世界進出を目指し、活動の激しさが増していく

ToshiはYOSHIKIから英語で歌うためのネイティブな発音や

より高い表現力を要求されるように

悩むToshiに守谷香は、

「見栄を張る事もカッコつける事もないよ」

「ありのままのToshiさんでいいんだよ」

「色んな装飾を身にまとう事は心を重くするだけだよ」

「メイクも金髪もいらないじゃない」

優しく語る彼女の言葉はToshiの胸のつかえを取り除いてくれるようだった

そして…1996年、DAHLIAツアーでメイクをなしでステージに立った

1996年冬、守谷香が好きだというヒーリングCDをかけた

「この曲をかけていると自然と涙が出てくるの。素晴らしい音楽だわ」

「あぁなかなかいい曲だね」と曖昧な返事をした時、突然 守谷香は

「もうXなんてやめていいんだよ!あんな家族とも縁を切ればいい!これからは真に人の心を癒せるような こんな曲を歌えばいいじゃない?お兄さんもYOSHIKIさんも周りにいる人みんな、Toshiさんを都合の良いように利用してきただけでしょ!もうそんなのに振り回されるのやめようよ。私はもううんざりよ!」

急に感情的になった彼女は一気にまくしたてた

彼女がかけていたCDはToshiを洗脳する団体の主催者が作った曲だったという

そんな事には全く気付かないままToshiにとって守谷香だけが信じられる存在になっていった

●1997年2月、守谷香と結婚

同年4月、YOSHIKIに「Xを脱退したい」と告げ、しばらくの沈黙の後、

YOSHIKIは「分かったよ。Toshi」と意外にもあっさり受け入れてくれたという

しかし他のメンバーはそうはいかなかった

特にギターのhideは「ボーカルがいなくなったらXはどうなるんだ?俺たちの人生どうなるんだよ!XはToshi君だけの人生だけじゃなくて皆の人生でもあるんだよ」

そんなhideの言葉にToshiは「hideちゃん、新たな人との出会いがあって新たな価値観が生まれた。俺…これからは人を救いたいんだ」

「救えばいいじゃん音楽で」「いやXにいたらそれはできないと思うんだ」

hideとは分かり合えないまま、こんなやり取りをしてToshiはX JPANを脱退した

同年8月、妻に誘われ、都内にある洋館を訪れた

その建物の地下室で特別なコンサートが開かれるという

うす暗い部屋には、以前 妻に聞かされたヒーリング曲が流れ、

すでに10人ほど客が来ており、みな一様に肩を落としうつむいていた

すると程なくして姿を現した40歳くらいの男性

彼は自称ミュージシャンのM、その後、Toshiを洗脳する団体の主催者であるが、

この時は団体について何も聞かされていたはいなかった

やがて男性は流れているカラオケ曲に合わせて歌い出した

すると…客たちは一様に泣き始めた

異様な雰囲気のコンサートは約1時間で終了

すると女性スタッフから「彼が特別にあなたがたに会って良いと言ってますが、どうしますか?」

「会いたいです」すかさず返事をした妻に促され、Mに会うため2階に通された

そこでMは「これからは癒しの時代にがやって来る。本質的な事をやれば多くの人を感動させることが出来るんです。地球に貢献できる本質的なモノだけを作る。それが分かる人たちだけに売る。それだけで十分豊かになるんです」と持論を話し始めた

そして「私はね、セミナー会社もやってるんですよ。もちろんそのセミナーの話は誰にでも話すというわけではない。あなた方には特別にお話をする」

「それはどんなセミナーなんですか?」妻が食いつくと「まぁ今日はこれくらいして、詳しいお話が聞きたければいつでもここに来ればいい。特別ですよ」

同年9月上旬、数日後、セミナーの説明会が行われるという連絡が入った

しかしその日、Toshiは風邪をひき39度の高熱に苦しんでいた

すると妻は「2人で行かなきゃ意味がないのよ!」「今日は無理だよ」

「駄目よ 行かなきゃ!あなたが生まれ変わろうとするのをあなたのエゴが怖がって本質に向かわせないようにしているのよ!だからそれに負けないで行こう!」

言葉の強さと必死さに驚いたものの、この時 Toshiは(こんなに真剣に想ってくれているのか)

そう思い、説明会の会場へと向かったという

見学後、申込用紙が用意され、セミナーのスタッフから

「自分で決めてください。今決めないのはあなたのパターンです。そのパターンを今突破してください」

「いやでも…」「これを受けなかったら何も変わらないのよ!」2人からの執拗な説得を受け、セミナーに参加する申込書にサインしてしまった

参加費は1人7万円、妻の分も含めた14万円を支払った

●同9月22日、X JAPANは解散を発表

会見から5日後の9月27日、Mが主催する自己啓発セミナーに初めて参加した

期間は3日間

●1日目、すでに10人ほどの受講者たち、さらに

ホワイトボードには“これは自分を見るトレーニングです。”と書かれていた

しばらくするとMが現れ、「これから10分間、自由にお過ごしください」

と言うと立ち去ってしまった

10分後…「この10分間、何がありましたか?それがあなたの人生です。周りの様子ばかり気になった人はいませんか?何をすればいいんだろう?不安に感じた人は?どういう意味だろう?裏を疑った人。それがあなたの人生なんです」

的を射たMの話にToshiは惹き込まれた

やがて守谷香をはじめ、一斉にすすり泣く人々

●プロセス「出会いの実習」

「まずは部屋を歩き回って他の誰かと無言で出会ってください。そしてその相手に対してどう感じたか?近付きにくいです。近付きやすいです。よく分かりません。この3つの言葉から1つ選んで相手に伝えてください。では始めてください」

とりあえず言われるままに動き出す

すると…Toshiは出会った人 全員から近づきにくいと言われた

さらに妻からも「よく分かりません」親しみやすさを否定された

「自分が近づきやすいと言われたくて、相手にも近付きやすいと言ってしまった人はいませんか?」

Mは人の心を見透かしたような物言いを繰り返す

するとToshiは増々興味を惹かれていく

だが、後に分かった事だが、参加者全員がセミナー団体のスタッフ

Toshiいわく、妻の立ち振る舞いはスタッフのようだったという

2日目、

●プロセス「シェアー」

幼少期に受けた悲しい経験を告白し合う、その内容が酷いほどMには褒められた

彼らはこれをシェアーと呼んでいた、苦しみを共有する作業

Mの巧みな誘導により、過去の何気ない体験を歪めることから洗脳が始まっていく

●プロセス「セラピー」

セラピーとは本来、心理療法を意味する言葉

このセミナーでは自分の中の恨みや怒りを体で表現

床に見立てたマットレスを家族に見立てて殴り蹴りつける

Toshiの頭の中は真っ白になり口からは親や兄貴に対する怒りの言葉が次々と飛び出して止まらなくなった

●プロセス「フィードバック」

それは馬頭と暴力を受ける事が伴うものだった

「これはあなたのため、あなたの本質を信じてやるんですよ」

自分は良くない人間である事、昔からコンプレックスだった容姿について集中的に罵倒された

「X JAPANなんてもっとも自我が強い、悪の権化だ!」

そして「ギラギラした気持ち悪い劣等男!おまえはそのエゴ人間の中でも最低最悪のうじ虫男なんだよ!」

妻の罵倒も聞こえてきた

セミナーは自尊心を崩すモノばかりではない

「ここがお前の故郷だからいつでも帰って来い」この飴に心が揺らいだ

3日目、

●プロセス「卒業式」

全ての工程をやり遂げた後、卒業式という儀式が行われた

「卒業 おめでとう」Mから花束を手渡され、祝福の拍手を送られる

するとToshiの中で意識が変わっていき、最後には感動の涙を流していた

こうしてToshiは、このセミナーに通い続けていくことになる

 

2009年10月に逃亡し決別するまで12年続いた

この12年間で失った損害は10億円以上、そして人生の全て

 

通い続けるようになったセミナーの受講料は1回数十万円以上

主催者Mにお金を使ってもらうのは素晴らしいこと、と繰り返し言われたという

そしてToshiは月に数百万円あった収入と

X JAPAN時代に貯めていた数千万円の蓄えを全てセミナーにつぎ込み、

守谷香との結婚からわずか10か月で所持金が底をついた

●同12月31日、解散コンサート

この日も朝まで恫喝と暴力を受けてから東京ドームに向かった

頭の中で響くMと守谷香の幻聴

●1998年5月2日、メンバーのhideが泥酔自殺により死去

Toshiも葬儀に参列 X JAPANの「Forever Love」を歌い、別れを告げた

だが、hideの死を知った日も「フィードバック」が行われた

「hideが死んだことでお前も思い知っただろう!ここを離れて一歩でも外に出たら、あいつと同じ目に合うんだよ!お前はたまたまうちで救われたからこうやって今 生きてるけど、お前も同じ穴のムジナだったんだ」

1998年9月、Toshiがある活動に溺れているという記事が掲載され、洗脳騒動が巻き起こった

当時、事務所社長だった2番目の兄が洗脳騒動を仕掛け、自分を潰そうとしていると思い、

洗脳されたと報じた記事に対し、真っ向から反論

そして主催者M、妻:守谷香と共にテレビの生放送に出演

この洗脳騒動は日に日に激化し、家族までもが「戻って来い」という記事が掲載されることも

団体に迷惑をかけたToshiに主催者が科したトレーニングが、

主催者のCDを店に置いてもらうように営業する事だった

時にはX JAPANのToshiとバレないように変装し、CDショップに飛び込み営業する事も

さらに自らアポを取り、全国各地での商業施設でのライブ活動

曲は主催者Mが作詞作曲したモノ

会場では主催者MのCDを販売

2年間で500回以上も行い、売上は数千万円にもなったという

その売上は事務所の取締役に就任した守谷香が管理、Toshiに入ってくるのは最低限の生活費だけ

さらに所有するX JAPAN時代に愛用品を売り払い、全てのお金を団体に捧げた

Toshiとは別に守谷香は、団体施設で主催者Mとの集団生活を送っていた

2004年4月、団体施設で児童が虐待を受けている疑いがあるとして児童相談所に保護されるニュースが流れた

この報道に対し、Toshiは否定

被害者が団体施設に対し、2000万円の損害賠償請求が提訴された

Toshiは、この事態にも妻やMは正しいことをしていると思い込んでいた

●2006年9月、主催者Mを初めて疑うキッカケが訪れる

「そういえば昔の知人からX JAPANを再結成しないか?って言われたんですけどね。何言われてもやる気はないからって追い返しました」

「具体的にどんな話をされたんだ?」

「あぁ、X JAPANやるなら3億円出す…って言ってました」

「本当に3億って言ったのか?じゃあ、そいつと一度会って話を聞いてみよう」

同年10月、Toshiと守谷香 同席のもと再結成を持ちかけてきた人物と主催者Mが面会

「契約金3億円、1億5000万円はすぐにでも用意できます」

すると「Toshiはね、どうしてもヤダって言うんですがね。私が言えば説得が出来ます。私はToshiの全権を握っていますから」

こうして再結成を持ちかけた人物が帰った後、主催者Mは、

「Toshi、もしX JAPANがこっち主導で再結成すれば利権は全て俺のモノで確定するんだよ」

それまで罵声と暴力で「X JAPANは悪の権化」と信じ込まされていたToshiにとっては理解しがたいこと

結局は金なのか?主催者を初めて疑った

●2007年10月、X JAPAN再結成

だが3億円だけでなくToshiに舞い込むX JAPANの再結成に関する大金は、

全て妻を介して主催者の手に渡る

Toshiは1日500円で出来合いのおにぎりを食べて暮らしていたという

2009年6月、長い間続いていた妻:守谷香への現金手渡し

この日もやっとの思いで500万円を用意したのだが、

「全然 金が足らねぇんだよ!こんなんじゃ!お前のせいでみんながどれだけ辛い思いしてると思ってんだ、このアホ男!」

この時、抑圧されていた無意識の感情が噴き出した

「どうせ金だけなんだろ!」Toshiいわく、これが妻への初めての反抗

すると妻は…「私はあなたに純粋になってほしいだけなのに…」

ポロポロと大粒の涙を流し始めたという

しかし妻に反抗したことで激しい馬頭と暴力として返ってきたという

「ヤクザに売り飛ばす」という主催者の言葉には現実味があった

今はこの2人から逃げるしかない…意識が朦朧とする中、Toshiは逃亡を決意する

2009年7月7日、YOSHIKIからのオファーを受け、

都内のスタジオで新曲のレコーディングをすることに

YOSHIKIサイドには誰にも伝えないという事を約束してもらい、スタジオへ向かった

実はこの数日間、決死の覚悟で守谷香殻の電話を無視し、行方をくらましていた

スタジオに入ると守谷香が待ち構えていた

どうにかその場は逃げ切ったのだが、ここで捕まれば自分はどうなってしまうか分からない

12時間に及ぶ長いレコーディング

とにかく一気に走って逃げるしかない…

しかし団体幹部も待ち伏せており拉致されてしまった

明け方の3、4時まで暴力が続いた

●2009年10月、X JAPANの傍ら、一人で続けていたドサまわりのイベント先のレストランでリハーサルを行っていた時の事

慢性的なストレスと睡眠不足、相次ぐ暴力により体が悲鳴を上げた

異変に気づき病院に運んでくれた人物、それはイベントに呼んでくれた会社の社長

「そういえば先ほど奥様にも連絡しておきましたよ」

「なんてことを!あいつらは僕を連れ戻しにやって来るんです!」

社長の知人である警察関係者の家で匿ってもらい、何とか逃亡に成功することが出来た

2009年10月26日、主催者、妻、団体に対し、決別の意を述べる文書を送った

その後、Toshiらの調べによると、妻に任せていた個人や会社の数億円の税金未納、借金未払い、健康保険の滞納が発覚

12年間で奪われた金額は10億円以上

2010年2月、守谷香との離婚成立

4月23日、団体側から申し入れがあり被害者側の勝訴的和解が成立

同月、Toshiの破産管財人が主催者や元妻、団体への損害賠償請求の裁判を起こした

2014年6月、Toshiの破産を巡る裁判も和解となった

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ジャネーノ!?で2010年に起きた大桃美代子ツイッター事件について

大桃本人が真相を語った

 

それは元夫の戦場ジャーナリスト:山路徹が引き起こした二股騒動

●大桃美代子ツイッター事件の真相

離婚について大桃は、次のように語っている

「離婚したんだか してないんだか 分からないまま離婚しちゃった」

 

2003年、大桃は戦場ジャーナリスト:山路徹と結婚

危険な仕事の夫の身を案じながらも仲睦まじい結婚生活を送っていた

 

ある日「今抱えている仕事は かなりややこしくなりそうだ…僕の身に難が一の事があった場合、戸籍を調べられたら君にも危険がおよぶかもしれない。だから…いったん籍を抜いてほしい」

大桃は山路の突然の要求に困惑

仕事が落ち着けばまた籍を入れればいい。お互いが無事であれば書面上の形は関係ない、と大桃は山路の要求を受け入れ、2人は離婚した

 

月日が流れ、3年後…2010年11月7日、

山路は不法入国の容疑でミャンマーの秘密警察に拘束

そのニュースが日本で報道された

そこで大桃は夫の苗字が「山路」ではなく「松本」だった事に驚く

大桃は山路に連絡

「苗字が変わっていたんだけど あなたもしかして結婚したの?」

山路は正直に「そうだ」と答えた

 

パニックになった大桃がネットを検索すると、麻木久仁子と夫の関係を知る

疑いが膨れ上がり抑えられなくなった大桃は、ツイッターに投稿する

 

2010年12月19日夜、

“今年嬉しかった事は、Twitterを始めて色々な方と出会えたこと。ショックだったのは、元夫が麻木久仁子さんと不倫をしていた事がわかったこと。先輩として尊敬していたのに、ショック どうして 辛い”と投稿

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金スマで紹介

●久米宏のザ・ベストテン降板の真相

久米はザ・ベストテンの人気で1979年にフリーアナウンサーに転身

その後はベストテンだけでなく4本のレギュラー番組の司会を務めるまでに成長

1985年、40歳になった久米に大きな転機が訪れる

久米の元に来たのは大型ニュース番組のオファー

昔からの夢だったニュースキャスター

久米を司会に新しく始めるニュースステーションはテレビ朝日の大プロジェクト

月曜から金曜まで夜のドラマやバラエティーを全て潰してニュース番組にするという異例のモノだった

テレビ朝日は久米宏に社運をかけた

「くれぐれもこの話はご内密に…」

ザ・ベストテンの放送開始は夜9時、ニュースステーションの開始は夜10時だった

2つとも生放送、両方に出演するのは不可能

それに加え、報道を伝えるニュースキャスターは娯楽番組を掛け持つなどありえない

久米がニュースキャスターに転身するためには…

ザ・ベストテン、ぴったしカン・カン、久米宏のTVスクランブル、司会を務める大人気番組を全て降板しなければならなかった

しかし降板する事を二人三脚でやってきた黒柳をはじめ、番組スタッフに何と説明すればよいのか…

ニュースの話は自分だけの問題ではない…真相は絶対に話せなかった

それから数日後、久米が隠していた番組降板、ニュースの話は載っていなかったが、

久米が生番組を全て降りる事が新聞に載ってしまった

スタッフは久米を問い詰めたが…何を言われても嘘を突き続けた

結局、誰にも説明しないまま時間だけが過ぎ、ついに黒柳は久米を呼び出した

黒柳は辞める理由を問い詰めた

「疲れてしまいまして温泉旅館で働こうと思います」と久米は答えた

1985年4月18日、番組内で降板を発表

「心理的な休養、それから肉体的な休む時間、それからちょっぴり勉強する時間が欲しいな。と言うわけでちょっとまとまった休みをとらせていただきたいと云う事でベストテンを今月一杯ということにさせていただいたということです」

ニュースの件は言えないので降板の理由は、こう説明した

そして1985年4月25日、結局、最後まで真相を話せないまま久米は育ててもらったザ・ベストテンを去った

その半年後、ニュースステーションで復帰した

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