デビュー/引退秘話」カテゴリーアーカイブ

三浦の姉は、1975年に牧陽子の名で歌手としてデビュー

その夫は、世界的ラリードライバー:篠塚健次郎

パリ・ダカールラリー日本人初の総合優勝を成し遂げた

息子は絲木建汰という芸名で俳優として活動

 

●三浦友和が芸能界に入ったきっかけは、姉と忌野清志郎

姉が小学6年生でオーディション番組に出演

その後、歌手としてデビューした

 

都立日野高校に入学すると

RCサクセションの忌野清志郎と同学年

バス通学を一緒にする仲だった

高校3年生でRCサクセションがデビュー

その影響で自分にもできると勘違い

「ミュージシャンの才能が無いからさ、なんか違うことやったら?」と

RCサクセションのマネージャーに言われて、俳優を目指すことに

1972年、ドラマ「シークレット部隊」で俳優デビュー

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●芸能界に入ったきっかけは、内田有紀に会うこと

小学校5年生くらいから内田有紀が大好きに。

内田有紀に会いたくて芸能界に入ったという

 

仕事で会ったのは、踊る大捜査線

 

実はその数年前、嵐のコンサートでばったり会った

芸能界に入った最終目標が前から歩いてきた

すれ違ってトイレに入っていった

戻ってくると察知した小栗は、しばらくそこで待った

戻ってきた内田に小栗が、

「色んな所で内田さんのファンだから この業界入った話をしてすみません」

「全然 大丈夫だよ。いつか潤くんとタイミング合えば食事しようね」

「ぜひ…」

その後、食事はしていないが、この出会いで小栗の目的は達成した

 

●小栗会

一つ下の松本潤、二つ下の生田斗真とよく飲みに行く

同じ年の藤原竜也をマンタと呼び、小栗はピスタチオと呼ばれている

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●紅白に出演した演歌歌手:門倉有希の監禁事件の真相

1998年、演歌歌手:門倉有希の「♪ノラ」で80万枚の大ヒット

そのルックスをいかして水着の写真集も出版

デビューからわずか2年目で紅白歌合戦に出場した

実はデビュー直後の1994年、

失踪事件を起こしマスコミから猛バッシングを受けていた

その年の新人賞を大きく左右するイベントをドタキャン

マスコミは、登校拒否症、男と駆け落ちと書き立てた

しかし事実は違い、この間、

門倉は死を覚悟した監禁生活を強いられていた

 

●監禁事件

中学3年生のとき、歌手を目指してオーディション番組に出場

その会場で同年齢 15歳の少年Aと出会った

歌手になりたい、同じ夢を持つ2人は意気投合

4年間 文通を続け、高校を卒業すると同時に上京

Aの家で同棲を始めた

 

上京してから1年経った1994年、門倉のデビューが来まった

デビュー曲は、新人演歌歌手としては異例の20万枚の大ヒット

その年の新人賞を総なめにするのではと言われていた

これがAの性格を豹変させることになる

 

「ただいま。疲れた…」

「疲れた 疲れたって俺に対する嫌みかよ」

忙しい門倉、デビューすらできないA

かつて同じ夢を追いかけていた2人は、大きく差が開いてしまった

Aは門倉に嫉妬するようになり、次第に束縛へと変化した

男性マネージャーから電話がかかってくると、

オンフックにして会話を把握

ある日、20時にAと会う約束だったが、

スタッフたちとの急な食事会が入り、帰宅したのは23時

するとズタズタに切り裂かれた門倉の衣装が…

「お前、なんで約束守らないんだよ」

指輪をはめた手で殴られ、顔面から出血

「ごめん、ごめんな、2度と殴ったりしないから」

Aは泣きじゃくり謝罪し、門倉はAを許した

 

バタード・ウーマン症候群→暴力を受けた後に謝罪や優しくされることを繰り返すと心の正常さが失われる

その結果、私がいないとダメになると、男を支えることに依存してしまう

 

門倉は、暴力を受けるのは自分のせいだと

思い込み、Aを責めることはなかった

そして門倉の仕事が増えるのと比例し、嫉妬と暴力はエスカレート

ついにAの精神は崩壊

 

1994年10月1日、その年に活躍した新人歌手が勢ぞろいする歌謡イベント

当時、新人賞を確実視されていた門倉にとって大事な賞レース

家を出ようとすると「ダメだ、仕事には行くな。行くならお前を殺して俺も死ぬ!これで殺してやる!」

Aは、突如 包丁を突き立てて来た

恐怖のあまり身動きが取れないまま時間だけが過ぎた

門倉を心配したマネージャーからの電話が鳴る

しかし電話に出ることも許されない

するとマネージャーが自宅の前に来た

Aの殺意に助けを求めることもできない、マネージャーは去っていった

ついにイベントの開演時刻、門倉のドタキャンに会場は騒然

 

この日から監禁生活が始まる

一緒に住んでいた部屋に閉じ込められた

食事は買いだめしておいたカップラーメンが与えられた

24時間監視、トイレ以外は共に行動

何度もマネージャーが自宅に訪れるも「逃げたら殺す」と繰り返す

 

3日目、Aが門倉から唯一目を離すトイレに入る瞬間、

外に出たが、エレベーターを待っている間に

「俺から逃げられると思ってるのか!」とAに捕まった

 

7日目、Aの外出中、門倉は勇気を振り絞り、階段を駆け下りた

公衆電話から父に助けを求め、命からがら実家に戻った

両親から被害届を出すことを勧められたが

イメージが傷つくのを恐れ、被害届を出さなかった

だがその結果、失踪した歌手として芸能界を干されてしまった

そして監禁のストレスから拒食症となり18キロも激痩せ

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ヴェネチア国際映画祭で最優秀新人賞を受賞した女優:二階堂ふみ

 

●グラップラー刃牙の花山薫が大好き

高校のとき、男子の友達が多かったせいで、

「グラップラー刃牙」や「特攻の拓」を読むように

中でもグラップラー刃牙の花山薫が大好き

トランプをカステラのようにちぎる握力を持つ

硬派でお母さんに優しく、女性にも優しくて無口

現実の好きなタイプも 特攻服が似合うような硬派な男性

 

●好きになっても積極的にいけない

好きな人には、真顔で見るだけなので

逆に嫌われていると思われがち

 

●ステーキリベラが大好き

ステーキ、中でも赤身の固い肉が大好き

多くプロレスラーに愛される有名店:ステーキリベラに通っている

300~400gくらいは普通に平らげる胃袋を持つ

 

●映画好きの母の影響で映画が大好き

 

●女優になったキッカケ

12歳の時に沖縄の古着屋でスカウトされたのが、きっかけ

「沖縄美少女図鑑(フリーペーパー)に載りませんか?」

掲載された二階堂を見た現在の事務所から移籍のオファー

オファーされた当時、事務所が何なのかも分からない、

「何か楽しそう」とだけで所属する事に了承したという

映画に関われるなら何でも…で高校進学を機に上京

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2001年、オネエタレントの先駆けとして芸能界デビュー

まだオネエが世間に定着する前、番組によっては、

「好きな人は女性です と言ってくれませんか?」とお願いされることも

 

●学生時代の壮絶ないじめ

小学生のころ、男子に公園に連れて行かれて砂の中に埋められた

登下校のときは、後ろから石が飛んでくる

 

●アイドル目指して上京

いじめの日々を乗り越え、高校卒業後

アイドルを目指して沖縄から東京に上京

200以上のオーディションを受けるが、片っ端から落選

 

●漫画家

1994年、ついに芸能界を諦め、普通に就職しようと

コンビニで就職雑誌を手にしたとき…ホラー漫画の新人賞受賞が載っていた

元々水木しげるや楳図かずおが大好きだった山咲は、

「私でも描けるんじゃない」と思い、翌日 画材を購入

下書きを一気に描いて、購入した雑誌の編集社へ持ち込んだ

「君 これ10日以内に仕上げられたら来月号にすぐ載るよ」

25歳で漫画家としてデビュー

誌面で顔を出して悩み事相談コーナーを作らないか?と

編集者から依頼されて、企画がスタート

それがきっかけでスカウトされ、31歳のときに芸能界デビュー

 

●テレビからいなくなったワケ

飛び鳥を落とす勢いで毎日のようにテレビに出演していた

3年目を過ぎたことから、毒が吐けない草食系の山咲は、

テレビの画面でチラッと映る時に

にこっと笑っているだけの状況に悩み始めた

事務所のマネージャーに相談し、3年間の休みを貰った

 

しかし3年も休んでいると母への仕送りなど貯金が減っていく

ハッと気づいた山咲は、マネージャーに仕事をくださいとお願いしたが、

すでに芸能界には、オネエタレントが満席状態だった

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