デビュー/引退秘話」カテゴリーアーカイブ

おしゃれイズムでモーニング娘。を辞める道重さゆみが、その心情を語った

2014年11月のツアーでモーニング娘。’14を卒業、芸能活動も一時休業する

 

●卒業しようと思ったキッカケ

モーニング娘。は卒業と加入を繰り返して常に進化していくグループ

その中で後輩も頼もしくなってきたので、卒業は今だ、と思い立ったから

可愛いうちに卒業したい…毎日鏡を見てたらピークは今(25歳)だなと思った

 

●爪を噛む、眉毛を抜くクセ

元モーニング娘。高橋愛によると、道重が初めて教育係になった時

「テレビ映らないのでテレビつなぎに来てください」

「ビデオ録画できないので録画しに来てください」

「カーテンがつけられないんです」などなど

後輩:久住小春の無茶苦茶な頼み事に道重は、

久住の自宅にまで行き要望を叶えるために奔走

道重の眉毛がドンドン細くなっていき教育係制度が無くなった

道重にはイライラが溜まると、爪を噛む、眉毛を抜くなど体にあたる癖があった

 

●友達はダンゴ虫

小学生2年~3年生の時、他人と接するのが苦手で友達がいなかった

虫が好きだった道重は、学校の登校途中でダンゴ虫を何匹か拾い、

机の引き出しに隠して、休憩時間にダンゴ虫と遊んでいたという

 

●生粋のナルシスト

中学の友人:末次さんによると

道重は昔からナルシストでお店の鏡で自分が映っているのを見て

「あの子 可愛くない?」と言って鏡に映る自分を指してニヤけていた

 

●可愛いと言ってくれる母

モーニング娘。に加入した13歳の時、道重に付き添って一緒に上京してくれた母

コンサートも観に来てくれて「さゆちゃん、可愛いかったよ」と褒めてくれる

上手く出来なかったバラエティ番組を観ても

「ほんと面白い。さゆちゃん可愛い」といつでも褒めてくれる

 

●天然の姉

「食器を流しに持っておいて」と姉にお願いした

しばらくして流しを見たら食器がなかった

「あれ食器は?」「持ってったよ」姉が食器をお風呂場に持っていっていた

また別の日、「北京オリンピックってどこでやってるの?」と聞かれた

 

●今後について

演技が下手なので女優できない。歌も下手、顔でカバーしている

今後については考え中…らしい

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バース・デイで男子フィギュア:高橋大輔が引退への想いを語った

 

2014年10月14日、日本の男子フィギュアを牽引してきた高橋大輔が引退した

 

●高橋大輔 20年間の苦悩と引退の真相

 

1986年、岡山県倉敷市

高橋大輔は、スケートとは無縁のごく普通の家庭で生まれた

1994年、7歳でフィギュアスケートをはじめる

野球やサッカーの球技が得意ではなく団体競技が苦手だった

知り合いのお姉さんに連れて行ってもらったスケートに魅了された

褒めてくれたのが嬉しかったし、続く原動力になった

 

中学に入ると振付師 兼 コーチとして活躍していた長光歌子に出会う

長光は、高橋の間の感性に惹かれた

2000年、2001年、全国中学校スケート大会を連覇

 

中学を卒業すると長光は、一般家庭の両親に負担をかけさせないよう、

そしてスケートに専念させようと下宿に下宿させた

コーチとして母として引退するまでの14年もの間、高橋を献身的に支えてきた

2006年2月、トリノ五輪に出場、高橋は男子唯一の出場で8位

五輪後の世界大会で高橋は何度も表彰台に上がる

そして2010年、バンクーバー五輪、高橋は見事 銅メダルを獲得

高橋の活躍がキッカケとなり男子フィギュアへの注目は格段に上がった

 

●世代交代

ソチ五輪では日本中が日本のエース:高橋の金メダルを期待していた

しかしその期待を感じる反面、

2年ほど前から自分の立場に不安を感じていたという

バンクーバー五輪以降、男子フィギュア界の情勢は大きく変わり始めていた

小塚崇彦、町田樹など世界で結果を残すようになった

特に意識したのが2012年3月世界選手権で銅メダルを獲得した羽生結弦

「シーズン入る前から、ヤバイなこいつ みたいのはあった。場を支配する空気感を出す選手はそんなにいないと思う」

自分が結果を残せなかったらすぐに序列が変わると思ったという

 

2013年12月、ソチ五輪代表を決める全日本選手権に出場

しかし大会1か月前に右すね骨挫傷により十分な練習ができなかった

結果は5位…優勝したのは羽生だった

高橋は世界ランキング3位の実績が評価され、ソチ五輪代表には選ばれた

世代交代という言葉がささやかれ始めたのを高橋も敏感に感じ始めていた

2014年2月、ソチ五輪、笑顔で終えた演技の結果は6位

その6分後、羽生結弦が金メダルを獲得する

「これからは彼が日本を背負っていく。引っ張っていってもらいたい」

と高橋は羽生結弦にエールを送った

2014年10月、引退を発表した

 

●引退への想い

第一線でやってこれた人たちは、気持ちとしては続けたいんじゃないですかね

ただ どんどん惨めになっていくのが耐えられるか?耐えられないか?によりますけど…

第一線の中で勝ち負けはあったとしても、そこに入れないのは嫌なので、

それがキツくなってきたのもあるんですかね

(もし足が万全なら?)足じゃないです、気持ちです

 

ちなみに…

●高橋大輔の「大輔」の名前は嶋大輔からとった

名付け親は、母親が勤めていた理髪店:理容タムラの娘:英子さん

英子さんが当時大人気だった嶋大輔の「♪男の勲章」のテープを持っており、

「大輔どう?」「いいかも」と決まったという

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「ふぞろいの林檎たち」でドラマデビューした女優:高橋ひとみ

大胆な行動に出る大学生役を演じ、ブレイクした

その後もドラマや映画に出演し30年以上活躍する名女優に

しかし「ふぞろいの林檎たち」よりも前に舞台でデビューしていた

その舞台が寺山修司の「青ひげ公の城」

 

●寺山修司との出会い

普通の高校生だった18歳の高橋

寺山修司のオーディションに行ったのは、友人の付き添いだった

身長が高く可愛げないと思い込み、

オーディションには参加せず、友人が終わるのを待っていた

すると寺山が「君 何番?」と聞いてくれたのが、

オーディションに参加したキッカケ

そして高橋は、見事 オーディションで選ばれ、

「青ひげ公の城」に出演する事になった

 

●寺山が最後に愛した女性:高橋ひとみ

手紙魔なほど筆まめ、寺山からの手紙は毎日届いたという

舞台後 高橋は、映画「さらば箱舟(旧題 百年の孤独)」にも出演

スケスケの布をまとった森をかけまわる少女役だった

 

●ふぞろいの林檎たちに出演するキッカケ

そして寺山は山田太一宅に赴き、高橋に合う役がないか お願いしに行った

元々、伊吹夏恵という役はなく山田太一が高橋の為に作った役だった

このエピソードを高橋は寺山が亡くなってから聞いたという

寺山の無償の愛を受けた高橋は、51歳になるまで結婚に踏み切れなかった

 

●「青ひげ公の城」で主役を務めたのは、声優:山本百合子

1976年、16歳の時、アイドルとして歌手デビューした山本百合子

ピンク・レディーが同期でヒットには恵まれず、逃げるように女優に

舞台後、寺山から映画「さらば箱舟」に誘われたが、濡れ場を理由に断った

24歳で一般男性と結婚し、女優から声優に転身

「超獣機神ダンクーガ」の結城沙羅 役、

「北斗の拳」のユリア役、「魔法使いサリー」のサリー役など

多くのアニメで命を吹き込むことに

現在は声優だけでなく番組のナレーションも担当

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●モリマンがテレビから消えたワケ

90年代 突如ブレークした女芸人:モリマン

ホルスタイン・モリ夫と種馬マン

まだ女芸人が少なかった時代に過激な芸風で人気を博した

しかし、そのわずか数年後、モリマンの2人はテレビから姿を消した

モリマンは今…地元北海道でローカルタレントとして活躍中

仕事のメインは北海道のラジオやテレビ番組

その副業としてモリ夫は2年前、すすきのにスナックをオープン

・スナック糸:札幌市中央区南6条西3丁目ニュー公楽ビル2F

 

モリマンがテレビから消えた真相を本人が語った

デビューして1年足らずでブレークし、ボキャブラ天国に抜擢された

ボキャブラ天国が終了したと同時に“消えた”と世間では言われているが、

忙しすぎて耐えられなくなり地元に帰ったのが、真相

当時、女芸人が少なかったため、

汚い仕事、痛い仕事といったドブ仕事が全てモリ夫に来た

一番辛かったのは、ある番組のOA日に母から留守電が入っていた

「もしもし華奈(モリ夫)ちゃん、お母さん病気になりそう…プーププー」

これは申し訳ないと思い、忙しいのが嫌だので帰りますと北海道に戻った

 

●モリマン誕生秘話も語った

東京にいる友人のマッスン(種馬マン)に、「店やりたい」と相談したところ、

「私が紹介してやるよ。フランチャイズで出せるから」と言われたので上京した

しかし、来てみたはいいがマッスンは全く紹介してくれない

ほどなく「芸人のオーディション受けない?」と言われ、

受けてみると見事 合格し吉本入りを果たした

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1975年、福岡県で生まれ子供の頃から父にギターを教えてもらっていた

中学生の時、吹奏楽部に所属、高校からバンド活動を行い、

いつしか芸能界に憧れを抱いた

一躍有名となったのは「ウルトラマンダイナ」

その後、クイズ番組「ヘキサゴン」で羞恥心を組み、CDデビューし大ブレイク

つるの剛士の下積みを支えた恩人:河相我聞

つるの剛士と河相我聞が出会ったのは19歳のドラマ「青春の影」の撮影現場

当時 つるのはまだ事務所にも所属していないエキストラだった

一方、河相は数々のテレビドラマや映画に次々と出演、

さらにバラエティ番組にも出演するアイドル的存在の超人気者

そんな河相を家で見ていた つるのは、

憧れの芸能界に入りたいという下心から河相の趣味はドラムであることを調べ、

青いカラーコンタクトで気を惹こうという作戦で撮影に挑んだ

すると「君ドラムやるんだ、目も青いね、カッコイイな」

つるのの思惑通り、我聞は食い付いた

同い年ということもあり意気投合した2人はスタジオで楽器を演奏するなど急接近

河相我聞によると

「初台の吉野家の前で「もう河相さんやつるの君なんて、そういう呼び方止めようよ。我聞とつるで行こうよ」と彼から言い出した」

遊んでいた流れで河相の家に泊まっていた つるのは、いつしか居候する事に

「初めは彼のバッグなど着替えだけだったが、ギターが増えてスケッチブックが増えて、荷物が少しずつ増えてきて…」

河相は多くの芸能関係者に つるのを紹介

シャ乱Q、Mr.Children、スピッツなど有名アーティスト、アイドル、

俳優たちが集う店に河相に連れて行かれ、

「ここで人脈を作った方が良い」と河相が勧めてくれた

さらに毎食奢ってくれるのはもちろん同い年にも関わらず昼食代まで出してくれた

河相はつるのの秀でた才能とひたむきな姿勢を認めていた

●恩人 河相我聞の秘密

当時、アイドル河相我聞には隠し通さなければならない、隠し子問題があった

16歳の頃から付き合っていた女性と結婚し子供が生まれていた

様々なテレビに出演しアイドルとして成功していた河相だったが、

当時の月給は新卒のサラリーマン程度、

さらにその給料のほとんどを、

別で暮らす妻と子供のため生活費として家庭に入れていた

河相の生活費や つるのに使ったお金は、兄に頭を下げて無心した借金だった

そんな河相のバックアップもあって つるのはラジオをレギュラーコーナーを担当

ラジオのディレクターの紹介で太田プロダクションに所属

きっかけを作ったつるのは深夜番組のレギュラーや人気番組に出演

夢だった芸能界デビューを果たす事となった

そして仕事が増えたことでだんだん河相の家に帰る回数も減っていった

バックアップした河相に対して、

感謝の気持ちを伝える機会を逃したまま共同生活は自然と解消されていった

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