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1984年、REBECCAのボーカルとしてデビューしたNOKKO

「♪フレンズ」が収録されたアルバムは、ミリオンセラーを記録

 

高校2年生の頃、兄のバンドに誘われ、キーボードを担当

しかしNOKKOが修学旅行行っている間に、クビに

 

不完全燃焼だったNOKKOは、

学校の女友達と一緒にバンド:ガールズバドールを結成し、ボーカルに

 

そのバンドで荒川の河川敷で行われたフェスに参加

そこでREBECCAの母体となるバンドに

「新しいバンドを作るから入らないか」と誘われた

 

高校を卒業後、資格をとるために簿記の専門学校に通い始める

 

ほどなくしてアイドルとしてデビューしないか、とスカウトされる

その後、REBECCAのデビューの話も浮上、どれが当たりなのか分からない

 

ある日、スタジオの倉庫を開けるとデビューできなかったバンドの

白骨死体を発見する夢を見るほど、NOKKOは不安に苛まれていた

 

結局、簿記の資格をとる前にREBECCAのボーカルとしてデビューした

 

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菊池の叔母が経営していた青山にある飲食店のレジ横に家族や親族の写真を飾っていた

 

たまたま来店していた音楽関係者が、その一枚の写真に目を留め、

その場で菊池について質問攻め、後日、叔母を介し、スカウトされる

 

丁度そのころ、菊池の門限は日没まで、

中学に入っても部活に入ることを許してもらえない厳しい家庭だった

反抗期に入り、何とか家庭の縛りから抜け出したいと考えていた時に、

叔母から芸能界入りの話を聞き、その縛りから逃れられると思い、承諾した

 

芸能界入りに関して、厳しい父は、事務所に学校に行かせること、

学業に支障が出ないスケジュールであることを条件を出した

 

●声量が無い が、コンプレックス

声量が無いので、ボイストレーニングを受けたが、

声帯の構造上、大きな声を出すと商売向きの声ではなくなると診断された

その後も歌うことに自信は持てなかった

 

ある日、鈴木雅之から「一緒にコラボしないか?」と誘われた

自信が無い菊池は断ったが、

「だってこの曲を作っていたら君の声が出てきちゃったんだもん」

と諦めずに何度も誘われたので、歌うことに

それが「♪渋谷で5時」

菊池は、ようやく歌うことの殻を破ることができたという

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フリーアナウンサー:赤江珠緒

●大坂の朝日放送の入社試験を下ネタで通過

当時付き合っていた男性の名字が金さん

珠緒の名を覚えてもらうために

「この人と結婚すると大変なんです」と自己紹介

この自己紹介で内定をもらった

 

大学生のとき 付き合い始めの男性と甲子園球場で野球を観に行った

男性が飲み物をこぼした

いいとこ見せるチャンスと、ティッシュを出したと思ったら、

生理用ナプキンだった

恥ずかしさのあまりバックに戻し、男性も見て見ぬフリ

それが気まずくて別れた

 

●祖父は山伏

母方のお爺ちゃんは、宮大工をしながら山伏活動をしていた

季節ごとに装束を着て山に登り、ホラ貝を拭く

そんな山伏の明石にある実家の風習が変わっている

・歌を歌いながら作る七草粥

・お通夜、大工が作った舟に遺体を乗せ、花を添えて

南無阿弥陀仏と書かれた帆が立て、舟を担ぐ

深夜0時に海に流し、決して後ろを振り向かないように別れる

 

●私服がダサい

博多大吉によると、胸にメガネがプリントされたニットシャツを着ていた

そのメガネの上に困った眉毛が

他にもマグロのお寿司Tシャツ…

 

●結婚

2008年にテレビ朝日のディレクターと結婚

朝日放送からテレビ朝日に出向した時に出会い、交際

大坂に戻った後も遠距離が続いたが、

高橋真梨子のコンサートに行き、桃色吐息のステージを観て、

幸せな気持ちになり、結婚の意思を固めた

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●パーツモデル:金子エミが顔出しするようになったワケ

「離婚して」と夫に言われたときに美容本の出版の話が来た

子供2人を育てるため、顔出しが条件だった美容本の出版を快諾

撮影時、カメラマンから「可愛い」」と言われたのが嬉しくて

現在も顔出しを続けている

 

その後、金子の仕事が増え、

ようやく子供2人を育てていく自信がつき

夫に「離婚してもいいですよ」と伝えると

「今はそんな気はない」と離婚せず、現在も家族仲良く暮らしている

 

●パーツモデルになったきっかけ

実家のクリーニング店でレジ打ちのバイトをしていた時、

近くの芸能プロダクションのマネージャーがYシャツを持って訪れた

「綺麗だね。手が」とスカウトされた

 

元々、芸能界に興味があった金子は、井森美幸が優勝した年に

ホリプロスカウトキャラバンに自ら応募したが、1次も通らなかった

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日本語のロックなのに洋楽に聞こえるGLIM SPANKY

 

●バンド結成

2007年、長野県松川高等学校1年生の時、

文化祭でバンドをやりたかった松尾レミがGLIM SPANKYを結成

半年ほどするとギターとベースのメンバーが辞めてしまい、

代わりに1学年上で生徒会長の亀本寛貴が加入

ちなみに翌年、松尾は副生徒会長に

 

●松尾レミの作曲スタイル

夜中、自宅でキャンドルに火をつけ、お香を焚いて、

完全に異世界に入り込んでからギターを弾くと

言葉とメロディーが同時に出てくる

 

●二階堂ふみを知らない

大学時代からの友人:宮國ちこによると、

2人はテレビに出ている人を知らない

松尾が某ブランドショップに訪れた時、

洋服を勧めてくれた女性をスタッフと勘違いして接していた

一緒に同行していたマネージャが、

「レミさん、二階堂ふみさんに服 選んでもらってよかったね」

そこで初めて、二階堂ふみだった事に気付いたという

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