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1999年、36歳の若さで亡くなった心霊研究家:池田貴族

妻:一美さんは今、介護福祉士として老人ホームで働いている

夫の死後、猛勉強の末、資格を取得

週5日、17年間 休むことなく続けている

 

1969年、三重県に生まれた一美さん

芸能界を夢見ていた彼女は、

21歳の時、鈴鹿サーキットのレースクイーンに

その後、活動を名古屋に移し、アイドルとして活躍

 

1993年、池田貴族が司会を務めていた名古屋の深夜番組で出会った

一目惚れした池田は、猛アプローチ、交際がスタート

3か月後には、同棲を開始

しかし交際3年目の1996年、背中の痛み、食欲不振、貧血、吹き出物、

体の異変に襲われた池田は、病院で精密検査

肝臓がんを宣告

肝臓の1/4を切除、手術は無事成功した

そんな中、一美さんの妊娠が判明

しかし肝臓がんが再発、再び手術

1997年7月に結婚し、1998年に娘が誕生

その後も池田は、再発と手術を繰り返し

体力が無くなっていく中でも娘との時間を大切にした

一美さんも24時間 付きっきりで看病、がん克服を目指した

 

亡くなる1か月前、一美さんに異変が起き始める

「一美、体拭いてくれないか」「いや…触りたくないの!」

突如 夫を拒絶

トイレに行くこともままならない池田の介助も拒絶

医師からがんの痛み止めを打つ同意書に

サインを求められたが、決断できず逃亡した

12月23日、娘のクリスマスプレゼントを買うために病室を出ようとすると

「行かなくていいんじゃないか、少しでも一緒にいたいんだ」

自らの死期を悟ったのか、池田がずっと一緒にいたいと懇願してきた

しかしそんな池田に対し、一美さんは逃げるように買い物に出かけていった

 

すると直後、池田の容態が悪化

まともな会話も交わせぬまま、昏睡状態に

1999年12月25日、池田貴族 死去

「少しでも一緒にいたいんだ」が2人にとって最後の会話となった

一美さんは、この最期の1か月を今なお後悔している

 

一美さんの行動は、予期悲嘆と思われる

大事な人と会えなくなる…いなくなると予期した時に出てくる情動的な反応

症状は、抑うつ

日常のことにも取り組めなくなり、頭が真っ白になる

さらにその時のことを覚えていない

 

この後悔が、介護福祉士の資格を取得するきっかけとなった

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人に興味がない、彼氏 全く欲しくない、恋愛ものは すごい嫌い

恋愛ドラマは観ない、観て名探偵コナンくらい

 

●目をつぶって走っていたらドブに落ちた

幼少時代、ヤギの中で流行っていた遊びが、目をつぶって走るだった

車の少ない道路を目をつぶって走ることで

ワープしたような感覚になれるのが楽しかった

 

●幼少期は器械体操

5歳のときに体操クラブに入り、10年間 器械体操を続けた

 

●友達にバイバイしてたらドブに落ちた

友達を一緒に下校していた時、

家の前で友達にバイバイしながら後退したらドブにハマった

 

●中学でシンプルにドブに落ちた

友達を一緒に歩いていた

「ここ溝があるから気を付き」と忠告した八木が落ちた

 

●逃げ恥よりも相棒の再放送を観ていた

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ライブ中に鹿の解体をしたり、

週刊誌に撮られて彼のことをあっさり認めた水曜日のカンパネラ コムアイ

生まれた時「こんなブサイクに生まれて この先どうしたらいいんだろう」

と母親が嘆き祖母に相談したという

 

6歳の頃、親がサバイバルしたいと、

ハワイのマウイ島に2か月間 家族で住んでいた

友達が少なく、友達を遊んだ記憶がなかった

 

●独特過ぎる「ごっこ」遊び

大人の女性になりたいという気持ちが強く、おっぱいを作っていた

紙を丸く切って、一辺を切って円錐を作り、胸に入れていた

 

●友達への興味が失せる

慶応義塾中等部に進学、しかし中学が人生で一番 最悪だったという

先生がハゲかハゲじゃないかで盛り上がる友達を横目に、

もっと面白い話できないのかと疎外感を感じた

宿題をやってなくて怒られるのが嫌で、

先生が教室に来るのと入れ違いでトイレに行って、時間をつぶしていた

 

そしてピースボートの事務所に入り浸るように

ピースボートとは、船に乗って世界一周する団体

毎日やって来る人生に悩んでいる人から話を聞くように

 

世界に興味を持つようになり、募金箱を作って銀座に行って

「女子高生がキューバに旅行に行きたいんでお金をください」と

スナックとスナックを行き来するおじさんに募金を募ったが、失敗

結局、企画書を作って、企業から資金を出してもらってキューバに

 

●高校で農業にハマる

キューバの有機農業を見て、自給自足に興味を持った

日本の田舎の集落や農場に行き、一週間から一か月泊まり、農業を体験

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1987年、当時保有していたWWWA世界タッグ王座の初防衛戦で、

首の骨を折り長期欠場していた北斗は、翌年に復帰を果たす

 

みなみ鈴香と海狼組(マリン・ウルフ)を結成し、

「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー

 

これを機にリングネームを付けることに決まった

テイチクと全日本女子プロレルが共同でファンからリングネームを募集

 

相方の鈴木美香は、みなみ鈴香に決まった

 

北斗には、募集したネームに多かった「晶」が決まった

しかし苗字がなかなか決まらずにいたところ、

北斗星司と南夕子が合体変身するウルトラマンAから、

みなみ鈴香のパートナーとして「北斗晶」と名付けられた

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●とにかく真面目

完璧に段取りしないと気が済まない

マネージャーから送られてくる1日のスケジュールを把握している

渋滞で遅れて着いたのに謝れなかったら失礼だから

 

●ギターの師匠:古川ヒロシ

ギターを始めたが、諦めかけていた時、

師匠の古川ヒロシからビートルズのコピーを貰ってから急激に上達

高校時代、バイトでお金を貯めて、お年玉 貯金を切り崩して古川さんから

譲ってもらったギターは、今でも使用している

それは結婚相手を選ぶ気持ちで一生のパートナーとして決めたギター

 

●中高 唯一の親友:マホコ

数学はマホコに勝てなかった

2人で伊勢神宮と軍艦島に旅行に行く仲

そんなに仲が良かったのに、ギターを習っていることを内緒にしていた

「♪My Best Friend」はマホコのために作曲

 

●高校時代に頼み込んでライブした下北沢のライブハウスLOFT

ある日、店長の長沢さんに

「ここから武道館に出た人はいるんですか?」と聞いた

「何人かいるよ」

「じゃ武道館出た翌日にここに出た人はいますか?」

「それはいない」

「じゃわたしがやる」と約束

 

2013年、初武道館ライブの翌日、LOFTでライブを開催し、店長との約束を果たした

 

職業的なソングメイカー:miwa

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