あの芸能人の過去」カテゴリーアーカイブ

16歳のときに不登校、そのまま高校を自主退学

20歳のときにグラビアタレントとして芸能界デビュー

話題性もあり一瞬にしてレギュラー8本を持つ売れっ子に

しかし男と駆け落ちして1年足らずで芸能界を引退

結婚して すぐに子宮がんを発症

その後、麻布十番に夫婦で弁当屋を開業するが、

わずか数年で廃業、そして離婚

生活のために父親に500万円の借金したことも

現在は、銀座のクラブのオーナーママとして働いている

 

現役時代 父は多忙だった

そのため は最長2年も会えなかったことも

そんな親子がようやく会えるようになったのが、

父が闘病生活を送る介護の時だった

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4歳のときに両親が離婚、父方の祖母に育てられた

19歳で東京理科大学に進学するが、

役者を目指し、わずか3週間で中退

養成所のレッスンに通いながら

横浜の魚市場でアルバイトを始めた

ある日、総菜屋に配達に行ったとき、

「美味そうだな」「何だ兄ちゃん腹減ってんのか?」

声をかけてきたのは総菜屋の店主:塙さん

貧乏だったムロの姿を見かねて、

アジの天ぷらと おこわをご馳走してくれた

その日以来、毎日 ご飯を食べさせてくれるように

「いつか役者で売れたら恩返しします」

「役者でなんか食っていけねぇよ!一握りしか成功しないんだ、だからお前なんか役者なんか辞めて安定した仕事をしろ」

この言葉が逆にムロの心を動かした

いつか一人前になっておじさんに認めてもらう

その後は、劇団を転々とするが、全く売れない日々

どんな役でもいいとオーディションを受けるが、

25歳まで全て書類審査で落ちた

それでもムロは、諦めなかった

ここで挫けてしまっては塙さんに合わせる顔がない

18年もの間、下積み生活を続け、役者としてブレイクした

 

ずっとムロを心配していた塙さんは、ある日、

NHK朝の連続テレビ小説「ごちそうさん」でムロを発見

鳥肌が立ったという

 

ムロが役者を目指したとき、

郵便局員になってほしかった祖母は大反対

「蛙の子は蛙だ」

ムロの父親も役者を目指し、すぐに諦めて帰って来たという

それを見ていた祖母は「絶対にやめなさい」と反対し続けた

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自宅は部屋が9つ、風呂が2つある豪邸

小学2年生で、いじめられるように

 

小学5年生から中学受験の準備を始め、

医者や経営者の娘が集まる名古屋のお嬢様校:金城学院中等部に進学

 

その後、あかぬけた柴田は、名古屋の繁華街 栄に

タクシーでくり出し、遊ぶように

お金は、欲しい時に貰うシステムで、

遊びに行くたびに、1、2万円を親から貰っていた

 

2010年9月30日、SKE48第4期生オーディションに合格

金城学院からSKE48としての活動を自粛するように指導があり、

このままでは高校を卒業することができないという事態にまで発展し、

学業に専念するため、2011年2月1日よりSKE48の活動を休止

3月1日に高校を卒業し、SKE48の活動を再開

2011年4月、金城学院大学生活環境学部生活マネジメント学科に入学

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早稲田大学の卒業後、俳優の道へ

「20世紀少年」や「大日本人」にエキストラ出演

 

俳優を諦めたワケは、才能がなかった、向いていなかったから

 

「俺は芽が出ないまま一生終わるかもしれないとモヤモヤしていた時に本屋に行き、気象予報士の資格の本に出会った

 

「やって後悔するより、やらんで後悔する方が一生悔いが残る」

明石家さんまの言葉がきっかけで転職に踏み切った

気象予報士の合格率は、5%

蓬莱は、見事 合格し、気象予報士になった

俳優時代の年収は1~2万円、現在は、500倍に年収がアップした

 

5年前、劇団四季の彼女にプロポーズし20011年 結婚した

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●本名は、野村耕蔵

芸名は、姓名判断の本を渡され、自分で考えてこいと言われ

木の言葉を入れようと模索、結局「樹」で調べると「一」しかなかった

「かずき」と呼ぶつもりだったが、

事務所に「そんな甘ったるい名前ではダメだ」と「いっき」と呼ぶように

 

●子供の頃は、貧乏だった

お金持ちのボンボンだった父親は、

毎晩のように飲み歩き、帰ってこない

180㎝を超える長身で、白いスーツを着こなしていた

家にお金がないのが普通で自宅の土壁にはヒビが入っていた

お金がないので、落ちているスラッとした石を

仮面ライダー人形に見立てて遊んでいた

12歳の頃、父が借金1000万円を抱え、両親が離婚した

この頃に母から「芸能界に進め」と言われた

 

●俳優を目指し18万円を持って上京

高校卒業後、地元でアルバイト生活

憧れの映画の世界は諦めきれなかった

20歳のときに18万円を持って上京

上京初日は、公園のベンチで野宿

バーテンダーなど様々なアルバイト生活

 

●21歳で人生で初めて彼女ができる

ひとりの女性と知り合い、同じ年の妹を紹介され、交際

1か月後、初めてキスすると、後は馬車馬のように

 

●25歳で、MEN’S CLUBの専属モデルに

トップモデルとなり年収1000万円を超えた

 

●29歳で俳優デビュー

「松田のドラマ」(内村光良監督)で俳優デビュー

 

●2000年、32歳で5歳年下の元モデル:余西 操と結婚

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