あの芸能人の過去」カテゴリーアーカイブ

●元TBSアナウンサー:小島慶子の半生

 

1972年、一流企業の商社マンだった父の転勤先である

オーストラリアのパースで2人姉妹の二女として誕生

幼い頃から父の仕事の関係で

香港やシンガポールなど海外を転々としていた

小学生の時、日本に帰国するとクラスメイトからイジメにあう

“小島死ね”“小島ゴミ”といった交換日記がクラス中に回り、

人間関係にナイーブになっていく

良い学校に行って裕福な家庭を築いてほしい、という母の想いが

プレッシャーとなり、母との確執が生まれた

 

●摂食障害

15歳の時、逃げたい…でも逃げ場がない

思いつめた小島は、精神的なストレスから極端に食事の量が減少

高校3年生になると、今度はその反動から食欲が抑えきれなくなる

夜中に食べ物を貪るようになり体重は瞬く間に増えていった

拒食や過食を繰り返す摂食障害に陥った

気付けば体重は20キロ近くも増え、顔はパンパンな状態に

就職の時期を迎えると偶然テレビで観たドキュメンタリー番組に

感銘を受け、アナウンサーを目指す

目標ができた小島は、食事をしては無理やり吐き出し、体重を落とした

1995年、TBSに入社

使命感の強い小島はニュース中継でも

原稿にはない自分の意見を勝手に発言することもしばしば

しかしアナウンサーの小島に求められていたのは、

決められた原稿をキチンと読むことだった

理想と現実のギャップに悩んだ小島は、さらに過食の症状が悪化した

コンビニで袋一杯に食べ物を購入し、湯船にごみ袋を広げ、

食べては吐く、食べては吐くを繰り返した

ある時は、食べたものが吐き出せず、無呼吸状態になってしまい、

自ら救急車を呼んだことも

 

●出会い

バラエティ番組で知り合った一人の男性スタッフ

仕事中は厳しいけれど、それ以外は優しい彼の性格に惹かれ、交際した

気が強く理屈っぽい小島の話を何時間でも聞き、受け入れてくれる

そしてすぐに同棲生活をスタート

穏やかな彼と過ごすようになり、初めて心に安らぎを覚えた

2000年に結婚、2003年 長男、2005年 二男が誕生

摂食障害は家族を築くことで徐々に回復していった

 

●不安障害

二男を生んですぐ、不安障害を発症

自分が死んだ方が世のため人のためと考えるようになり死のう

そう考えるようになった

カウンセリングを受け続け、何とか乗り越えた

2010年、TBSを退社しタレントに転向

 

●海外移住

エッセイを執筆するなど幅広く活躍するように

そんなある日、夫から思いもよらない告白をされる

「実は仕事を辞めようと思う」

テレビの第一線で活躍していた47歳の夫が突然退職を決意

収入がなくなるのを不安を覚えたが、夫の退職を受け入れた

せっかく夫が仕事を辞めたのだから、

今までは絶対に無理だと思っていたことにチャレンジしてみよう、

と2014年、生まれ故郷であるオーストラリアのパースに移住

(1495)

スポンサード リンク

NHKの朝ドラ「マッサン」に出演後、ブレイクを果たした俳優:浅香航大

今でこそ爽やかな好青年だが、実は過去に深い闇を抱えていた

中学生の時、浅香は問題児として学校中で有名だった

学校をさぼるのは日常茶飯事、たまに授業に出ても寝てばかり

さらに些細な事ですぐにケンカ

他の生徒からは敬遠され、先生からも見放される始末

そのため2年生に進級する際、

浅香がいるクラスの担任を引き受ける先生はいなかった

 

そんな中、唯一手を挙げたのが、

学校に配属されたばかりの高田慎 先生

高田先生は浅香に対し、常に正面から向き合った

ある日、事件が起きる

授業中にも関わらずお菓子を食べていた浅香

「おい授業中だぞ!」「何だよ」

「殴れ!俺を殴ってお前の気が済むならやってみろ!」

結局 殴ることはしなかった浅香だが、

その日から学校へ行かなくなってしまった

 

すると…高田先生が自宅まで来てくれたのに、浅香は居留守を使った

しかしその翌日…高田先生の訪問は、

学校に行かなかった3ヵ月間 毎日続いた

その姿を見続けた浅香は、

俺なんかのことを こんなにも大事に想ってくれてるなんて…

先生の愛に涙が止まらなかった

そしてついに高田先生の気持ちに応え登校し、さらに高校受験を決意

死に物狂いで勉強した結果、見事 志望校に合格

 

高校進学と同時に夢だった俳優業もスタートさせた

(458)

1958年、東京の銀座に生まれた

実家は新橋演舞場の真ん前にある喫茶店

慶應大学卒業でのエリートの父と元松竹歌劇団の母の間で育った

思い切りが激しく一度思いたったら即行動に移さないと気が済まない性格

5歳の時、芝居好きの母の影響で舞台に興味を持つと

「僕も踊りたい」と日本舞踊を習い始める

一緒に稽古していた子供の中には十八代目 中村勘三郎の姿もあった

さらに和物を究めようと茶道、能まで習うように

中学生の時には、仏像の魅力にハマった

学校が休みになるとひとり夜行列車に揺られ、京都や奈良の寺巡り

 

●心中

15歳で初恋を経験

この先 彼女以上に好きな人は現れない…と思いこみ取った行動が、心中

同じ日 同じ時間に睡眠薬を飲もうと彼女と約束

そして当日 薬を一気に飲み込んだ…

しかし睡眠薬と思って買った薬はビタミン剤だった

 

●人間不信

ある日、近所の知り合いに微笑みかけた時、

たまたま無視された事がキッカケで、僕は嫌われている…

極度の人間不信に陥った亜門は、学校でも孤立、引きこもりに

そんな生活が1年近くたったある日、

いつも以上に酒に酔った父が、亜門に腹をたて

宮本家の家宝の日本刀で亜門を追いかけ回した

ますます人への恐怖心を強くする亜門

その姿を見た母は、

「もう学校も行かなくていいから、最後のお願いとして病院に行ってちょうだい」

亜門は病院でカウンセリングを受け始める

その甲斐もあり人間への不信感が取り除かれ、人生を変える作品と出合う

 

●舞台

それがミュージカル映画「ゴッドスペル」

1970年代のニューヨークを舞台にキリストの生涯をコミカルに描いた作品

亜門はパワフルな歌と踊りに衝撃を受ける

僕がやりたいのはこれだ、そう思った亜門は演劇部の門をたたく

そして17歳の時、自ら主演、演出を務め高校の学園祭で亜門版「ゴッドスペル」を上演

人生初の演出作品は学園内だけでなく

有名雑誌でも紹介されるなど高い評価を得る

 

そして亜門は舞台演出家の道を志す事を決意

普通なら有名演出家へ弟子入りを考えるところだが、

まずは出演者の心を知るべきだとダンサーの道を究めることに

そして弟子入りした先は、元踊り子の母

朝から晩までみっちり、畳が擦り切れるほどの猛特訓

より美しい動きを見せるため、時には裸で踊らせて

体のラインをチェックするなど熱心に教え込まれた

 

そんな親子二人三脚の努力が実の結び、20歳の時にプロのダンサーに合格

そして1980年、ミュージカル「ヘアー」に出演決定

ところが初演の前夜、亜門が家に帰ると…

息子をずっと励まし、支え続けてきた母が突然の脳溢血で他界

翌日、母が座るはずだった席にはバラの花束を置き、

その悲しみをこらえながら舞台に立った

そして亜門は本格的に演出の道へ進み始める

 

22歳の時にミュージカルの本場、ニューヨークへ単身留学

29歳の時、自ら手掛けたミュージカルを日本で初上演

それがミュージカル「I GOT MERMAN」

企画、製作、演出、振り付けと4役をこなし、

出演者3人、ピアノ2台の斬新なスタイルで評判を呼び、

異例のロングランを記録

文化庁芸術賞を受賞するなど数々の賞を受賞

「I GOT MERMAN」で成功をおさめた亜門の下には演出の依頼が殺到

年間10本以上手がけ、さらにその全てがヒットする超売れっ子に

2004年、「太平洋序曲」ブロードウェーで東洋人初の演出

演劇界のアカデミー賞 トニー賞4部門にノミネート

(915)

俳優:綾野剛 ブレイクのキッカケは小栗旬

 

●小栗旬に誘われて事務所を移籍

映画「クローズZERO II」に出演した際、小栗旬と出会った

「クローズZERO II」の打ち上げ 2次会の会場までタクシーで移動

「タクシー 一緒に乗っていこうよ」と

移動車があるにも関わらず小栗から綾野を誘った

「綾野君さぁ、俺と心中してくんねぇ」「何?」

「剛みたいな奴が欲しいんだ。本物しかいない事務所にしたいから。いつか事務所の人間だけで舞台とかやりたいんだよね」

小栗の熱量に圧倒され、断る理由も見つからなかった

「分かった」と綾野は快諾した

 

小栗旬が所属する事務所の社長には事後報告となった

事務所を移籍したことで綾野はブレイクした

最初は仕事が決まるたびに小栗に報告していたほど

 

●幼少時代

幼少の頃、両親が共働きだったために家に独りでいることが多く、

押入れの中に自分の好きなものを持ち込んだり、洞窟を掘ったりしていた

この頃の孤独が綾野の鋭利な雰囲気を生んだのかもしれない

 

●エチオピアのベケレ選手に憧れて中距離の陸上選手に

中学の時、800m 1500mの中距離走で岐阜県で1位

東海大会で予選落ちや準決勝どまり

高校の時、県2位になり東海大会に出場

飛ばし過ぎたため、600mぐらいで記憶を無くしてリタイヤ

 

●歪んだ音を愛してやまない

18歳でカート・コバーンに憧れギターを始めた綾野は、

歪み=ディストーションが大好き

この音に包まれる事でストレス発散できるという

(473)

ゲイシャガール:鈴木ひろ子は、

2015年、千葉県船橋市の市議会議員選挙に立候補し当選した

 

●船橋市議会議員に当選したゲイシャガール:鈴木ひろ子

 

元福島中央テレビのアナウンサーだった鈴木ひろ子は

2003年にプロレスラー:KENSOと結婚

 

2004年に夫と共にアメリカの団体:WWEで活動するため渡米

 

英語が得意ではない夫の代わりにマネージャーとしてついて

最初はマイクをやるだけとだったが、

着物を着て おしろいを塗ってディーヴァとして

リングサイドに立った異色の経歴を持つ

(423)

スポンサード リンク