あの芸能人の過去」カテゴリーアーカイブ

「警視庁、警視庁、チッ、六本木アマンドの前で若い男性がケンカ、至急 応援願いたい」

●柳沢慎吾の無線ネタは、TM NETWORK:木根がキッカケ

柳沢慎吾といえば、タバコのパッケージをズラして

警察の無線のマネをするネタが有名だが、

その無線ネタは、柳沢慎吾が考えたわけではなかった

 

18年前、TM NETWORKのギタリスト:木根尚登と北海道のドラマロケで一緒になった

待ち時間、2人で警察の話になり、木根が

「タバコのパッケージをズラすと無線の帰りに聴こえますよ」と教えてくれた

 

以来、柳沢はマイナーチェンジする事なく

警視庁の無線のモノマネをやり続けている

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若い世代には、石原軍団を炊き出しをする軍団と思われている

●石原軍団とは?石原プロモーションという制作会社にいる俳優

その由来は、ドラマ「西部警察で」渡哲也が演じた大門刑事 率いる大門軍団

大型トラックに書かれていたのは、

「石原プロモーション制作 大門軍団 西部警察」

それが略されて、石原軍団となったという

 

●石原プロモーションをつくったワケ

日本の大手映画会社が調印した監督、

俳優の引き抜きを禁止する五社協定

自由に俳優にオファーして自由に映画を製作ために

昭和の大スター:石原裕次郎が、石原プロモーションを起業した

映画「黒部の太陽」や「栄光の5000キロ」などヒット作を生んだ

しかし2本連続で興業が失敗し、当時のお金で7億円の赤字となった

その借金を返すために、

石原裕次郎が初めてテレビに出演したのが「太陽にほえろ!」だった

「太陽のほえろ!」が成功し、借金を全額返済したという

 

●炊き出しは、元々ロケの食事だった

石原軍団の撮影は、夜通し続き、食事の時間が無いので、

サロンカーを3台並べて10種類ぐらいの食事を常に作るように

そのうち野次馬にも振る舞うようになり、徐々にエスカレートしていった

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グラビアアイドル:吉木りさの失恋

●大学時代の彼氏は六股男だった

吉木が大学生の頃、同じクラスのトシ君に一目惚れ

吉木から告白して付き合い出した

トシ君とのラブラブな関係を誰かに話したくなり共通の男友達に話した

「実はトシ君と付き合ってるんだ」

「えっ!あいつ同じクラスのエリコと付き合ってるんじゃないの?」

 

吉木はトシ君に直接 聞きに行った

「トシ君!エリコと二股かけてるって本当?」

「ご飯食べに行っただけだよ」彼は二股を完全否定した

 

ある日、食堂で女の先輩に相談された

「相談って何ですか?」

「私ね、最近 りさのクラスのトシ君と付き合いだしたんだけど」

三股目は先輩のミオさん

 

さらに四股目の女:法学部のカナエ、五股目の女:バイト後輩のヒトミ…

最終的には六股に達した

 

それ以来、吉木はチャラ男を生理的に受け付けなくなった

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行列のできる法律相談所で紹介

紅白歌合戦に22回も出場する国民的演歌歌手:水前寺清子

1968年に発売された「三百六十五歩のマーチ」は100万枚を超える大ヒット

最初は、演歌歌手なのに歌詞に英語が入っているという理由で

この曲を歌いたくなったという

レコーディングの時にワン・トゥーではなくワン・ツーと演歌風に歌った

 

●愛称:チータ

本名:林田民子の「ちいさなたみこ」の略

小さな見た目とは裏腹に性格はかなり男っぽかったため、

客席からヤジが飛ぶと、ステージ中でも客相手にケンカ

 

●夫:小松明

夫:小松明は所属事務所の社長も務める

元々、指揮者だった小松とコンサートで共演したことがキッカケ

出会って4年後の1989年に結婚

水前寺の地元:熊本で行われた結婚式では

約5000人がお祝いに駆け付けた

 

●夫婦ケンカ

一見穏やかそうに見えるが、仕事に厳しい小松は、

撮影スタッフがいてもその場で水前寺に怒鳴りつける

しかし水前寺も負けず、収録が終わると大ゲンカに発展

コンサートが終わると、まず小松の怒声が飛ぶ、

移動もふくめ自宅に帰るまでケンカが続く

ちなみに水前寺は今まで一度も褒められたことが無い

 

●イメチェンで五分刈り

42歳の時に新曲をリリースする事になり、

「今回の曲はイメージ変えてみようと思うんだ」

そういって連れて来られたのは、山本譲二が行きつけの理髪店

元々ショートカットだった水前寺、

小松の指示で見る見る髪が短くなっていき、気付けば五分刈りになっていた

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ノンフィクション作家:家田壮子

1986年、ノンフィクション小説「極道の妻たち」が40万部を越す大ヒット

そして同年、映画「極道の妻たち」が上映され大ヒット

90年代後半、ワイドショーのコメンテーターとして活躍

しかしここ数年はテレビで見かける事は少なくなった

●ノンフィクション作家:家田壮子は今…高野山で僧侶に転身

1999年、高野山で僧侶として修行

愛知県の厳格な家庭で育った家田壮子

幼い頃から好奇心旺盛で青春時代は夜の都会の街に繰り出した

1984年、家田は20代の無名美人記者と注目を浴び、

週刊誌で若者のナイトライフなどを取材していた

そんな中、社会を震撼させる山一抗争事件が起きた

刺激された家田は、女性目線で極道の生活を書く事を思い立ち、

暴力団幹部の家へ住み込みをし、極道の妻たちを1年半かけて取材

それが40万部を超えるベストセラー「極道の妻たち」

一躍 時の人となった家田は、同業者から枕営業と罵られた

こうした噂が飛び交った背景には、彼女自身の若気の至りも

記者として駆け出しの頃、

夜の六本木で出会ったアメリカ人と勢いだけで結婚した過去がある

その男性とは、まともな結婚生活をおくる事なくスピード離婚していた

噂が広がり連日バッシングを受けると、

手の震えや脱毛など重度の自律神経失調症をに襲われた

 

家田は逃げるように、アメリカ陸軍の黒人男性と恋に落ちる

周囲の声も聞く事なく再び黒人男性との結婚を決めた

そして夫の仕事の都合でアメリカに移住

1989年、一人娘ジュリアーナを出産した

夫は日本人は金持ちだという思い込みが強く、

家計にはお金を回さず、しかも浪費家だった

終いには妻の預金にまで手を出した

そんな夫に耐えきれず家田は離婚を決意、別居という形で日本に逃げ帰った

そんな夫は、家田に驚きの要求を突き付けてきた

ある日、夫の弁護士を名乗る男から電話が鳴った

子供の親権をとられたうえ、夫と娘の生活費と授業料 毎月36万円×2年分

その後 毎月12万円の養育費を13年間分 請求された

アメリカの裁判所で闘う気力もなかった家田は夫の提示した条件を全面同意

3歳の娘を現地に残し、離婚が成立した

 

1996年、新たな恋に落ちる

相手は会社経営者の日本人男性、40歳を手前にして3度目の結婚

今度こそ幸せを手にするかと思いきや、結婚したら借金があったことが発覚

さらに夫が愛人との間に子供を作っていたため離婚

3度目の結婚も失敗に終わった

その後はテレビのコメンテーターとしてがむしゃらに働いた

色んな悩みや問題に対して、自分の言葉を発していた

しかし発すれば発するほど虚しい気持ちになっていった

そして思い悩んだ家田は 1999年、真言宗へ入門した

仏の教えを学ぶことで悩める女性たちを救いたい、そう考えた

2001年、高野山大学大学院に入学

7年間の修行を重ねて住職の資格を取得

そして日夜 厳しい修行を続けている

 

2001年、山岳修行中に知り合ったサービス業で働く男性と結婚

関西で夫婦生活を送り高野山を往来

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