あの芸能人の過去」カテゴリーアーカイブ

アウト×デラックスで紹介

14歳で芸能界デビューし、ポカリスエットのCMで話題を集めた

この頃、後藤が仕事を頑張れた理由は、

大人が色んなものを買ってくれるから

「この撮影が終わったら好きなもの買ってあげるからもう少し我慢しよう」

この言葉でブランド品などを買って貰っていたという

とにかく清純派と言われるのが、嫌だった

 

2002年、19歳で「疲れたから」という理由で芸能界を引退

第2の人生をはばたくために左肩に蝶の入れ墨を彫った

 

2004年、セクシー雑誌のグラビアで芸能界復帰

 

2007年に結婚、プロポーズは「僕を幸せにして下さい」

束縛が強い旦那が、後藤の仕事を勝手に断っていた

2009年、26歳で離婚

 

2010年、吸引脂肪、豊胸手術をニュース番組が密着取材

最初は、しみ・そばかすを消す、という話だったが、

話していくうちに脂肪吸引や、その脂肪を胸に入れられるか?と発展

 

2012年、美容整形で痩せたので写真集を発売

 

2014年、再婚、妊娠

(1591)

スポンサード リンク

おしゃれイズムで俳優:堺雅人が謎の過去を語った

●無駄出勤してドーナツ屋のバイトをクビに

暇だからという理由で、シフトに入っていないのにバイトに出勤

肩を叩かれて「もういいだろう」と言われて辞めさせられたという

足し算、引き算ができなくドーナツ屋のバイトで

多めにお釣りを渡し、千円単位で間違えていた

 

●美術モデルのバイトでヌードをさらす

裸にコートを着て椅子に座って一人で待っていると

真面目そうな女子大生が1人で入ってきた

恥ずかしそうにしていたので「やります?」と聞くと

「やります」と言うのでコートを脱いだ

裸体の堺雅人と女子大生が部屋に2人きり

初めてのヌードだったので、描かれたデッサンを見せてもらうと

股間は「し」と描かれていただけだった

 

●空間認識能力が不得意

急に右、左と言われると混乱する

 

●夢は人の行くに立つ公務員だった

国立大学の受験に失敗し、記念受験で受けた早稲田が合格

高校演劇をしていたので早稲田の劇団に所属

大学を中退してもダラダラと演劇にを続けた

事後報告で中退したことを両親へ報告、絶縁状態になる

絶縁状態は、堺がNHKの朝の連続テレビ小説に出るまで続いた

 

●野球少年だった

3人兄弟の長男で野球をムリヤリやらされていた

最終回に想い出作りに代打で出る実力だった

 

●セリフの覚え方

喫茶店で台本を覚え、歩いている時に記憶しているか確認

覚えていないとまた喫茶店に入って改めて覚える、を繰り返す

 

●休日の過ごし方

寝るのが好き

アウトドアの楽しみは全く理解できない

 

●本を週に5、6冊 読破

自宅に本が溜まってしまうので、一時期は図書館に寄付していた

(552)

重厚な演技に定評がある俳優:石橋凌

活躍の場は国内にとどまらずハリウッドにも進出している

元々は、伝説のロックバンド:ARBの元ボーカル

「僕はマイノリティ、何とか茶の間に切り込んでいきたい」と語る

 

●音楽

1956年、福岡県久留米市 5人兄弟の末っ子として生まれた

兄たちの影響で聴き始めたロック

高校に進学するとバンドを結成

数々のスターが巣立ったライブハウス:照和のステージでライブを行った

東京のレコード会社からソロでスカウトがあったが、

バンドで上京がしたいと全て断った

お世話になっていた地元ラジオ局の方に背中を押される形で上京

最後のチャンスと思って受けたARBのボーカルオーディションで合格

しかし当時の事務所が期待していたのは、アイドル路線のバンド

ロックを志していた石橋は事務所と決別

ワンボックスカーで全国のライブハウスを回って頭角を現した

しかし武道館でライブをしてもマイノリティ、

幼い時に聴いていたビートルズ、ストーンズ、CCRは、茶の間に届いている

その壁が超えられず、ここまでかなと思った時に、松田優作に出会った

 

●松田優作

直感的に自分が抱えている悩みを相談できると感じ、石橋は打ち明けた

「お前がいる音楽よりも映画の方が大きい、映画で名前と顔を売ってみろ」

松田優作は自身の初監督作品「ア・ホーマンス」で石橋を抜擢

石橋は これを機に俳優業に乗り出した

その後、松田優作はハリウッド映画に出演

しかしこれからという時に突然 病に倒れた

手を差し伸べてくれた松田優作の意志を継ぐべく石橋は、

ハリウッドで通用する日本人俳優になると決意を固める

そのために音楽活動を一旦 封印、俳優業に専念する事に

国内で実績を積み上げ1993年には、念願のハリウッドデビュー

その後も数々の映画に出演

石橋は松田のご仏前でハリウッド俳優になった事を報告し、

俳優に専念することに一区切りとし、音楽活動を再開した

 

●ジョン・レノンのような普遍的な歌を歌えたらいい

「このままじゃ終われない」と語った

(414)

品川庄司:品川祐が妻と出会ったのは、

妻がクラブ通いしていた時に、友人の友人として知り合った

出会ったころの品川は、工事現場の資材の運搬をしていた

当時の将来の夢は、スキューバーダイビングのインストラクター

 

品川と交際することになり、色々話すことで

「本当は芸人になりたかった」と後悔とも聞こえる愚痴がこぼれるように

当時、品川は22、3歳

 

たまたま、友人から教えてもらった東京NSC第一期 募集の広告

その広告を品川に見せた

募集要項の年齢は過ぎていたので、妻が吉本に連絡

「年齢が過ぎているけど大丈夫ですか?」と聞くと、

「一度、書類を送って下さい」

これでようやく品川は芸人の道を歩むことになった

(355)

●自分ルールが多過ぎて結婚を諦めた女優:梶芽衣子

代表作は映画「女囚701号さそり」

本編中、ほとんどセリフがないにもかかわらず

感情表現が凄まじい演技でダークヒロインを熱演

そんな梶芽衣子は、自分ルールが多過ぎて結婚を諦めていたという

 

・11種類の歯ブラシを使用

普通の歯ブラシ1本、奥歯の奥を磨くアンパンマンの歯ブラシ1本、

歯間ブラシ全サイズで計11本

11種類の歯ブラシを使用して歯磨きに20分かける

 

・婚約破棄

この作品が終わったら結婚しようと決めていた相手がおり、

同棲もして結納も交わして映画会社にも事務所にも公表していた

すると「女囚さそり」が大ヒット

次作の撮影が立て続けに入ってしまい婚約を破棄せざる得なかった

破棄に納得できない相手に梶は頭を下げた

「ごめんなさい、条件ありますか?何でものみます。許してください」

「死ぬまで仕事はやれ、誰とも結婚するな」が相手からの条件だった

梶は、その条件を守っている

 

・幼少期の夢

旦那様と子どもと暮らす一般的な家庭を築くことを夢見ていた

娘にはテニスをやらせてウィンブルドンの家族席で観戦

息子は高校野球のピッチャーで甲子園に観戦しに行く

 

ちなみに さそりの衣装も無言のキャラクターも梶のアイデア

(777)

スポンサード リンク