芸人ネタ」カテゴリーアーカイブ

これまで読んだ小説は2000冊以上

立教大学で本に関する講義を開くほどの読書家

 

●作家:ピース又吉 先生の快挙

 

2015年、文芸誌 文學界で純文学「火花」を発表

 

主人公の若手芸人:徳永と彼が天才と慕う

先輩芸人:神谷の栄光と挫折を描いた話

 

文藝局次長:大川繁樹によると

人間の悲しみと笑いが、そこに同時に

存在する巧みさ、狙いの複雑さ、本当にスゴイ

 

雑誌創刊以来の初の増刷を記録、わずか2ヵ月で単行本化

初版はデビュー作としては異例の15万部

 

●芥川賞を受賞

 

●太宰治

一番好きなのが、太宰治、携帯の待ち受けも太宰治

休日は決まって太宰ゆかりの地へ

 

●ファッション

暇があれば下北沢の古着屋をまわる

 

●父方の祖母はユタ、母方の祖母も奄美の祈祷師

 

●距離感がおかしい女が苦手

小説を書いて色んな取材を受けるようになった

みな丁寧なのだが、たまに距離感が不思議な女が存在する

初対面で「今どこに住んでんの?」から質問が始まった

「えっ?引っ越した?三鷹じゃなかったっけ?」

怖いなと思い、距離を保っていた

「撮られながら質問されるの嫌?」

この人は嫌いやと思い、心を閉じた

 

●小説家:西加奈子

ピース又吉が開催している太宰ナイトの第1回ゲスト

その際に西から短編集の帯を書いてくれとお願いしした

当時、テレビに全く出ていなかった又吉は、

「僕が帯を書いても「じゃぁ読むか」ってなる人は1人もいないんで」

と断ったが、押し切られて書くことに

西加奈子「炎上する君」の帯「読者として僕を満足させながら芸人としての僕を不安にさせる」

西によると「絶対 彼は後々、帯の言葉めちゃくちゃ依頼される人になる。最初の帯のコメントが欲しい」と思ったという

 

1980年、大阪府寝屋川市に生まれた

小さい頃からお笑いが好きだったが、

小学校でサッカーをはじめると、メキメキと上達

高校はサッカーの名門校:北陽高校に進学

大阪代表としてインターハイに出場したほど

サッカーに青春時代の全てを捧げてきた又吉

お笑い芸人になりたいと友人に相談できるはずもなく

18歳になると地元 大阪ではなく東京の吉本お笑い養成所に入学した

又吉は幼馴染と線香花火、綾部も幼馴染とスキルトリックを結成

綾部のスキルトリックは養成所卒業後、わずか3ヵ月で解散

舞台の裏方スタッフとして働きながらピン芸人としてお笑いを続けていた

順調なスタートを切った又吉だったが、コンビ結成3年後、

芳香性の違いが原因で線香花火を解散することに…

又吉はこのことを同期で一番仲が良くコンビ解散を経験していた綾部に相談

「芸人を辞めて京都で出家しようと考えている」「えっ!?出家?」

すると綾部は「お坊さんなってどうするんだ?絶対芸人辞めない方がいいって。ちょうど俺も一人だし一緒にやってみないか?」

2003年、ピースを結成した

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誰だって波瀾爆笑で紹介されたカンニング竹山の半生

1971年、福岡県福岡市に生まれた竹山隆範

実家は敷津面積100坪を超える豪邸

庭にはドーベルマンが放し飼い

リビングには象牙、虎の敷物、火縄銃が飾られていた

3歳からバイオリンの英才教育

幼稚園への送迎は、運転手つきのベンツ

筋金入りのお金持ちだった

そんな竹山が高校時代に夢中になったのが…ロック

陣内孝則率いる「ザ・ロッカーズ」に憧れ、

カッコいいミュージシャンを目指し、友人とロックバンドを結成

ライブをやると歌よりもトークの方が大ウケ

お笑い芸人の方が向いているかも、と思った竹山は、わずか1年でバンドを解散

1990年、お馴染みとター坊ケン坊というコンビを結成

吉本興業 福岡事務所の第一期生として合格

同期は博多華丸・大吉

ター坊ケン坊は笑いの方向性が合わず、わずか1年でコンビを解消した

21歳で単身上京

何不自由ない福岡での生活を捨て、家賃3万円の風呂なしアパートへ

 

●中島との再会

バイト帰りに何気なく入った西荻窪の定食屋

そこに居たのは地元福岡の小・中学校の同級生:中島忠幸だった

久々の再会で意気投合

相方を探していた竹山は、中島を誘い、1992年 カンニングを結成

しかし芸人としてカンニングは中々芽が出ない

 

●借金10億円

1992年、竹山の父が他界

すると父に莫大な借金があり、その支払いが竹山にも降りかかった

さらに父が竹山を勝手に会社の社員にして土地の売買をして事が、

福岡裁判所から手紙が届き 発覚

竹山の名義で13億円の土地の裁判があります、と

一家で相続放棄の手続きをとり借金を免れた

ところが元々、お坊ちゃん育ちで貧しい生活に耐えられなかった竹山は、

仕事もないのに毎晩豪遊

あれよあれよと言う間に気付けば借金450万円

留守電には催促のメッセージ、家には毎日のように借金取りが…

そんな日々が竹山を自暴自棄にさせた

ダメかもしれない…中島にコンビ解散を告げる

すると中島は、

「放送禁止用語でも下ネタでも自分たちのやりたいお笑いを存分にやろう

1年経って状況が変わらなければ、もうお笑い やめよう」

そんなある日、いつものように竹山の家に借金取りが…

漫才をやっている場合ではなかったが、その日の夜にもライブがあった

窓から雨どいを伝って地上に降り、借金取りから逃げるように、ライブハウスへ

客にキレ出す芸は、この時に生まれた

そしてカンニングは徐々に人気者になり一躍全国区に

 

●中島の死

下積み時代から交際を続ける3歳年上のジュンコさんと交際

中島は2004年4月に結婚、長男:翔太くんも授かりようやく幸せを手に入れた

しかし2004年12月、中島忠幸 急性リンパ性白血病で緊急入院

血液のがんと言われる難病だった

中島の入院中、竹山は中島が帰ってくることを信じて1人テレビに出続けた

そんな思いが通じたのか、中島の病状は一時回復

復帰ライブを具体的に計画するまでになった

めでたい事は一緒にしたらいい、と

中島の復帰と自分の結婚を一緒にしようと考えていた

しかし2006年12月20日、カニング中島忠幸は35歳の若さでこの世を去った

私生活に区切りを付けようと49日が過ぎた2007年3月に結婚

7年後、自身のらいっぶで初めて相方の死を笑いに変え、ファンに披露した

今でもカンニング竹山を名乗り、相方:中島忠幸の記憶を残している

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はまやねんの「ラッスンゴレライ」に

「ちょっと待って お兄さん」とツッコむ田中シングル

 

二人とも吹田市立第二中学校の同級生同士

成人式で再会して頻繁に会うようになり

就活で3社から内定をもらっていた田中シングルに対して、

全く決まっていなかったはまやねんは、

「夢を追いかけようぜ」となし崩し的にNSCに願書出したという

 

NSCに入学した夜に中学のグラウンドに忍び込み50メートル走をし、

そこではまやねんが8.6秒という記録を出したことから「8.6秒」

それにバズーカーを足して8.6秒バズーカ―とした

 

●ラッスンゴレライの誕生秘話

 

元々、違うネタの打ち合わせをしていた

煮詰まってきたので相方を笑わそうと、ただただ踊り狂った時に

出てきた言葉が「ラッスンゴレライ」だった

相方だけを笑わそうと思っていたので、

ここまでのブレイクは想定外だったという

 

●南国で隠居したい はまやねん

高校時代は今より20キロ痩せていて

ファンクラブが出来るほどモテモテだった

将来の夢は「南国で隠居したい」という

お笑いに関してポンコツ

漫才もコントもいろいろ試したが、はまやねんの間が悪く、断念

・女性に執着心が無い

高校の頃、2、30㎏痩せていたはまやねんは、

自然に女の子から言い寄って来られた

他校にファンクラブが出来て、下校時にファンクラブが校門に並んでいる

・好きな食べのモノは、ハンバーグ

・メールで送られてくるネタを待つ

ボイスメールでメロディーが送られてくるので、寝る前にひたすら聞くが、

翌日のネタ合せには忘れてしまっている

・さまぁ~ずみたいにハワイロケをしたかった

芸人になろうと思ったワケではなく有名人になって、

さまぁ~ずみたいにハワイロケをしたかった

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成功の遺伝子で紹介されたビートたけし伝説

 

●弟子のためにツービートが前説

2002年、ビートたけしの付き人をしていたアル北郷が

初の単独ライブを開催したときのこと

会場に集まったの客は、50人程度

出番も迫り楽屋でスタンバイしていると…

「おい!」現れたのはビートたけしとビートきよし、ツービート

「前説で漫才やってやるからよ、出してくれよ」

突然の出来事に何が起こっているのか状況を把握できない

「漫才やってやるからよ、早く出せよ!」

そこで前説中だった先輩芸人を舞台から無理矢理 引きずりおろした

ツービートは舞台へ…すると小さな会場が大きな歓声に包まれた

2人は14年ぶりに客の前で漫才を披露

しかも7分半 オール新ネタの漫才

歴史に残る贅沢すぎる前説となった

ツービートは2週間前からネタを練習していたという

ライブの後、たけしは打ち上げをセッティングしてくれた

「今日は弟子の為にありがとうございました」

丁寧にお礼を言いながら裏方さんや

駆け付けたアル北郷の友人にまで心付けを手渡しで配った

 

●多くの芸人に慕われる

当時まだ無名だったアリtoキリギリス石井が仲間と飲んでいると、

番組スタッフと食事に来たビートたけし

面識がなかった石井だが、意を決して挨拶

数時間後、石井がお会計をしようとしたら店員が、

「お金はたけしさんから頂いております」「えっ!」

石井たちは靴も履かず店を飛び出し、たけしを追いかけた

「ありがとうございました!ご馳走様でした!」

するとたけしは「売れたら使ってね」

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メレンゲの気持ちで紹介

 

●「♪あったかいんだから~」の誕生秘話

ドラックストアでバイトしていたクマムシ長谷川が、

面倒くさいなぁと思いながら棚卸を作業をしていた

コーンスープを棚に陳列していた時、

「♪特別なスープ…」と突然フレーズが降りてきた

コーンスープのパッケージには「あったかい」と書いていたので、

そのまま「♪あったかいんだから~」と続いた

 

芸人になる前は DJをしていた長谷川、当時はアフロヘアーだった

甘い選曲をするので有名なDJワッフル

ビジュアル系キャラに扮した長谷川:おにぎり丸 司

オリジナルのヴィジュアル系ソング「♪Could you tell me」を披露したことも

 

●嫌われるチャライ佐藤とコンビ結成

クマムシ佐藤は、ピンで養成所に入ったが、すぐに無理だと諦め、

「僕一発ギャグとかないんですけど、僕とコンビ組みたい方いらっしゃいましたら合コンとかすぐ開きますんで」とクラスで自己紹介

この自己紹介後、佐藤は完全にクラスで孤立

長谷川がポルノグラフィティの「アポロ」をパピプペポで歌うネタと、

その強面フェイスを見て、コンビを組んだら目立てると思い、誘ったという

 

●ヒモ状態の佐藤

佐藤の彼女は、読者モデルでお嬢様

出会いは、合コンで無理矢理 連絡先をゲット

現在、彼女が借りている高層マンションで同棲している

何十万であろう賃貸料金のうち、佐藤が払っている家賃は3000円

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