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新たなステージで活躍するアイドルたち

 

●アイドル:本田理沙は今…地元大分でタレント育成スクールの代表に転身

 

1998年にデビューしたアイドル:本田理沙

アイドルらしからぬ落ち着きでバラエティー番組でも活躍

本田理沙は今…地元大分でタレント育成スクールの代表に転身

 

・TPET(ティペット):大分市今津留1-7-4

入会金:10000円 レッスン費:1回 2500円

アイドルやモデルなど芸能界を目指す人のために指導者として力を注いでいる

自身がプロデュースする小学生アイドル:Pinky pittsのイベントでは

自ら司会も務める

 

●熱狂的ファンのストーカー被害に遭い、芸能活動休止

1997年、26歳で芸能界を引退

報道では、結婚による引退とされていたが、

実際はストーカー被害による精神崩壊

熱狂的なファンが彼女の実家を調べ、訪れるようになった

毎月送られてくるファンレターは500通以上

人気に伴い次第に熱狂的すぎる手紙が交じってくるように

当時、ファンから様々なプレゼントを贈られていた本田

その中の一つが、留守電機能が付いた最新の電話機

自宅に持ち帰り電話機を交換しようとしたその時、

その電話機の中には盗聴器が…付けられていた

 

ある日、実家に1本の電話が鳴った

「あっお父さん どうして娘さんはファンのプレゼントを捨てるんですか?」

「あなた一体誰ですか?」

「ファンを裏切るようなことをすると娘さんがどうなっても知りませんよ」

こんな電話が何度もかかってきた

 

当時 高校に通っていた本田が通学していた時のこと

「本田さんですよね?大ファンなんです」と声をかけてきたファンらしい男性

「同じクラスに東コウイチさんっていますよね?どういう関係なんですか?」

「ただの男友達ですよ」

「本当ですか?この間の体育の時間 楽しそうに喋っていましたよね?」

男は学校での出来事、交友関係、イベント、その全てを調べ上げていた

ファンとの揉め事はゲイン王活動に支障が出ると警察に届けられなかった

徹底監視される日々が2年…

 

20歳を迎え ひとり暮らしを始めた本田が、寝ていた時

突如 寝室のドアが開き、懐中電灯を持った男性が入ってきた

狂気に満ちた表情…近づいてくる男性

本田は窓を開けて「誰か助けてーっ!」と大声であげた

すると犯人はすぐさま逃亡

警察が現場検証すると、

犯人は2階に暮らしていた本田の部屋に行くために

隣家の外壁を登り、小窓を壊して侵入

そのままリビングを抜け、本田が寝る寝室に

姿を発見され騒ぎになるとベランダから飛び降り逃走した

 

このストレスから本田は、ファン恐怖症に陥る

ファンが怖くなりイベントなどで会う前は必ず嘔吐を繰り返した

そしてどこにいても全ての男性がファンに見えて、

絶えず監視される強迫観念に襲われた

ストーカー被害を受け始めて8年目、1997年 本田は芸能活動を休止した

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関ジャニ∞:安田章大の生態

13歳でジャニーズ事務所のオーディションに合格

関ジャニ∞のメンバーになり苦労しながらもブレイク

 

●基本的にノープラン

休日は気になる街を目的もなくブラブラするのが好き

 

●スケッチブック

必ず持ち歩いているスケッチブックに、雲の形をスケッチ

感覚で降りてきたモノをパッと描く

ユニコーンの雲、カブトガニの雲、火の鳥の雲など

アーティスティックな一面を持ち、数々の作品を制作

 

●ショッピング

紙袋や包装紙は貰わず、購入した商品はマイバックに入れる

購入した服にその場で着替えるのが好き

 

●乙女男子

私服は女性モノを愛用し、香水を30種類以上 所有

自宅には至るところにディフィーザーがある

レディース服を扱う店をハシゴ

気にいった白のワンピースを試着し、購入

 

●週に5回 焼鳥屋に通う

ネタや焼き場を目の前に煙を感じられるカウンターを好む

 

●家で用を足す時は全裸

番組関係者によると…安田君はかなりのドM。

トイレをギリギリまで我慢し、用を足す時は必ず全裸

現場では全裸になる事はないが、安心する自宅では必ず全裸になる

安田いわく…

「一波目、二波目でトイレに行ったらもったいない…すべてを気持ちよく出したい」

ギリギリ歩けるぐらいまで我慢するという

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爆報!THEフライデーで紹介

●1970年代グラビア界のヒロインとして活躍したアイドル:山東ルシアは今…シングルマザーで難病を抱えながら下町でひっそりと暮らしている

1970年代、アグネス・ラムと同時期に活躍した人気グラビアアイドル

平凡パンチ、週刊ポストなど数々の雑誌でグラビアを飾る

当時、彼女が出演した雑誌の本数は月53誌

1988年、グラビアアイドルとしての仕事が激減

生計を立てるため始めた副業がホステス

ホステスとして働く山東の噂は所属事務所の耳にも入り、芸能界とホステスのどちらを取るのかを迫った

彼女は生きるために芸能界を辞め水商売の道へ

そして35歳の時にお見合いで知り合った大工職人と結婚し、40歳で長男を出産

しかし性格の不一致で離婚

シングルマザーとして再スタートを切った

パートで働きながら女手一つで必死に息子を育てた

その矢先、膠原病が山東をった

いつものように自宅で食器を洗っていると手の指先が真っ黒に

彼女の症状は膠原病の中でも強皮症と呼ばれる皮膚や内臓が硬くなる症状

寒くなると指先の血管が収縮し血が通わず真っ黒になる

医者からは5年生存率40%、治らないと宣告

進行を遅らせるため、飲んだ薬の量は1日15錠以上

子供を育てるため、電話オペレーターや保険のセールスなどを掛け持ち、仕事に励んだ

大量の治療薬の副作用のせいで、2年前、転倒し大腿骨を骨折

ボルトが2本も入る大けがで、7か月間入院、人工骨移植を行った

現在はリハビリで歩けるようになったものの骨を丈夫に保つための注射を毎日打っている

山東は今…息子に支えられ7年前から芸能活動を再開

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●1980年代ポスト松田聖子と呼ばれた正統派アイドル沢田富美子がに転身!都内にビル10棟を持つ総資産50億円以上の大富豪になっていた

 

ふわふわの髪にフリフリの衣装でポスト松田聖子と呼ばれた沢田富美子

デビュー曲「ちょっと春風」を松田聖子の「裸足の季節」を手掛けた三浦徳子と小田裕一郎が担当

清楚なルックスで人気を博した

しかしデビューからわずか5年…1986年、アイドルとして限界を感じ芸能界を引退

 

●元アイドル沢田富美子は今…不動産会社を経営する女社長に転身

出版した投資本も10万部を超えるベストセラーに

いまや不動産業界で知らぬ者はいないカリスマ投資家

港区の一等地を中心に10数カ所にビルを所有

1棟あたりの値段は7億円で総資産は50億円以上

小学生から1人でモデルルームに出入りするほどの不動産好きだった

 

19歳の時、事務所との契約金や貯金を使い始めて投資

購入したのは大田区池上の2500万円の新築ワンルーム

ローン7万円の家賃は8万円、利益1万円で10年間持ち続けた結果…

バブル景気に乗り、池上の地価が上昇、10年後の売却利益は800万円

このお金を元手にマンション売買を繰り返し、資産を蓄えた

 

38歳になった時、1億円でビル1棟を購入

選んだのは麻布十番、当時は地下鉄の駅もなく陸の孤島と呼ばれていた

選んだ理由は新駅建設の噂

5年後、ラッキーなことに地下鉄の駅だけじゃなく六本木ヒルズも建設された

麻布十番のビルの売却価格は6倍以上に

堅実な投資はバブル崩壊も影響なく、

総資産50億円以上のカリスマ不動産投資家に成長

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一番ソングSHOWで紹介

1989年、「ロッテCMアイドルはキミだ!」でグランプリ獲得

16歳で芸能界デビューした宍戸留美

オーディションは8万5千人の応募があり、その中から頂点を掴みCMキャラクターに起用

同期に高橋由美子、早坂佳恵がいる中、一躍人気者になった

1990年、「コズミック・ランデブー」で歌手デビュー

ニックネームはルンルン

奇抜な衣装とテクノポップ調の個性的な楽曲でコアなファンから圧倒的な人気を誇った

しかし、人気絶頂期からわずか2年後、事務所がバラドルへの転向を提案

その提案に納得できず自ら契約を解消し、表舞台から姿を消した

●そんな宍戸留美は今…アニメ声優に転身している

18歳で事務所を辞めた後、フリーのアイドルとして活動

母から借金をしてインディーズからCDを出すなど地道な努力を続けていた

その後、「おジャ魔女どれみ」の瀬川おんぷ役に抜擢

アニメ声優として見事復活

現在もアニメの声優として活躍するかたわら、インディーズで音楽活動も続けている

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