1993年、K-1の旗揚げに関わった元K-1ファイター:佐竹雅昭
絶頂期には大晦日の定番として毎年のようにテレビ中継されていた
しかし旗揚げ当初は全く人気が出ず、会場はガラガラだった
そこで何とか客を呼び込もうと考えたアイデアが、
会場がガラガラでも客を一か所に集めて、
カメラのアングルだけで満員に見せる
また多くの芸能人を招待すて華やかな会場をアピール
そのかいあってK-1の人気は爆発
ファイトマネーは、マックス1000万円、立ち上げ時は、100万円
●1999年、突然 K-1を引退
頭角を現してきた武蔵との対戦で、
ダウンを奪いながらも3対0の判定負け
納得できずリングサイドに詰め寄り、説明を求めた
「佐竹 そんなことはどうでもいい」
この「どうでもいい」で佐竹の糸が切れしまった
「どうでもいいなら、分かりました。辞めさせてもらいます」
翌年、K-1のライバル団体だったPRIDEに電撃移籍
●PRIDEでボッコボコにされ死に淵をさまよった
相手はランペイジ・ジャクソン
寝転んでいるときに四点ポジションで、顔面にいきなり膝を入れられた
頭がい骨を陥没、背骨まで折れていた
PRIDEのファイトマネーは、マックス2500万円
●2002年、現役を引退し、政治の道へと転向
2013年に「佐竹さん 選挙でないか?」と自民党からの出馬のオファー
自民党の参議院全国区比例の公認で参院選に出馬
結果は自民党圧勝の中、惜しくも落選
現在は、フィギュア好きからサブカルチャー評論家として活躍している
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