誰だって波瀾爆笑で紹介
●中尾彬と池波志乃の結婚秘話
1942年、千葉県木更津市で生まれた中尾彬
酒店を営む実家の5人兄弟の長男
ある日 家の近所で映画の撮影が行われる
その現場を見て感動した中尾は、いきなり主役の長谷川一夫に
「俺も役者になりたい」と直訴
長谷川は「大学を出たらいらっしゃい」
1961年、武蔵野美術大学に入学
役者を目指すため日活ニューフェイスのオーディションを受験
4000人以上が応募する中、見事合格
その後 役者に専念するため大学を中退し、数々の映画やドラマに出演
1955年、東京都西日暮里に生まれた池波志乃
祖父は落語の神様と言われた5代目 古今亭志ん生
父はいぶし銀の芸の持ち主:10代目 金原亭馬生
叔父は3代目 古今亭志ん朝
名門の噺家一家に生まれた志乃は、
中学生になると日舞、三味線、長唄など芸ごとに興味を持つように
芸の道を究めたいと女優になる事を決意
15歳で俳優養成所に入学、1973年 新国劇に入団し、
先輩女優に付き人しながら演技を勉強
その後、テレビドラマにも出演、高い演技力が評価され出演オファーが殺到
●出会って3ヵ月で結婚
2人が出会ったのは、志乃が22歳の時
志乃が初めてヒロインを務めた時代劇で共演
13歳年上の中尾の印象は「これがあのプレイボーイの中尾彬」
第一印象は決して良くなかったが、ある物が2人を急接近させる
当時 入手困難だった幻の日本酒:越乃寒梅
撮影の合間、越乃寒梅を飲んだことを周囲に自慢していた中尾
するとお酒好きの志乃が「私はいつでも越乃寒梅が飲めるお店知ってるわよ」
こうして2人でそのお店に飲みに行くことに
お酒好きの2人はすぐに意気投合
2軒目に彬を連れて行ったのは、芸者たちを呼んでのお座敷遊び
その芸者は志乃の友人で、
この子なら男を見る目も確かだろうと品定めをお願いしていた
「絶対やめなさい」という芸者は一人もいなかった
こうして晴れて交際をスタートさせた2人
中尾は2回目のデートでプロポーズ
1978年3月14日、2人は出会ってわずか3ヵ月で結婚した
●結婚以来続けている中尾家の独特のルール
1、妻は夫より早起きし 寝顔は絶対に見せない
中尾の帰りがどんなに遅くなろうとも玄関の鍵を開け出迎える
2、夕食には手書きのお品書きを用意
中尾家の夕食には懐石料理のように一品ずつ出てくるのだが、
志乃がそのメニューを考え、お品書きを用意する
3、妻は夫の財布の中身をチェックし、常に補充する
彬が外で遊ぶとき恥をかかないよう常に志乃が財布のお金を補充する
4、朝食は和食と洋食を両方用意する
5、テレビのチャンネルは妻が変える
「4にして」と中尾から声がかかったので
「はい」と台所からテレビまで移動してチャンネルを変えてしまった
付き人を経験していたので、おもわず体が動いてしまった
6、給料袋は「ご苦労様でした」と神棚へ
実は これは全て志乃が始めたこと
志乃が自然と行ったことが習慣となり結婚からずっと続いている
●夫婦を襲った病…闘病生活
2006年9月、沖縄の別荘にいた志乃の体に異変が…
起きようとしてもまぶたが開かない
さらに手足が痺れはじめ、救急車で搬送
そこで告げられたのは、フィッシャー症候群
免疫機能の異常により目が動かなくなり手足が痺れ、歩けなくなってしまう病
志乃は治療の為、沖縄の病院に緊急入院
東京で仕事をしていた中尾は、翌日すぐに駆け付け看病につとめた
そして志乃の母が、がんに侵され、当時住んでいた千葉県の病院に入院
中尾は闘病中の志乃に代わって志乃の母に食事を作り看病
仕事をしながら沖縄と千葉の行き来を繰り返す
しかし2006年11月、志乃の母:治子さんが他界
深い悲しみの中、志乃を励まし続けた中尾
2007年3月、志乃の体は回復し、夫婦でメディアに登場
その4日後、今度は中尾を病魔が襲う
仕事先のホテルで中尾が倒れているのをマネージャーが発見
緊急搬送された中尾の病名は、横紋筋融解症
筋肉が溶けていき放置すれば腎臓などの機能が失われ死に至る病
志乃が医師から告げられた生存率は20%
予断を許さないなか集中治療室で懸命の治療が施され、一命をとりとめる
志乃の懸命な看病で順調に回復した中尾は、3か月後 無事に復帰を果たした
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