1999年、星野仙一監督率いる中日ドラゴンズ
セ・リーグ優勝の立役者となった野口茂樹
この年、チーム最多の19勝を達成
最高年俸は1億4000万円に達した
しかし2005年、31歳で巨人に移籍すると肘の怪我もあり成績不振に
34歳で戦力外通告を受け、表舞台から姿を消した
●元中日ドラゴンズ:野口茂樹は今…照明の営業マンに転身
毎日のように頭を下げる日々
入社3年目、ようやくビジネスマンとしての常識が身についた
2007年、巨人在籍時に25歳の女性と出会った
2人は結婚を意識する関係だったものの
その1年後、野口は戦力外通告を受けた
しかし野口は肘が完治すれば復帰できると、
収入ゼロで自主トレーニング、野球浪人の道を選んだ
女性の愛は冷めず、戦力外通告の半年後に結婚
日中 保育士として働き、夫の支えた
子供を望んでいた2人は、夫婦で妊活に取り組んだ
しかし子供はできなかった
子供はできないのは、僕が妻を不安させているからかもしれない
戦力外通告から3年、野口の貯金は底をつき始めていた
いつまでも妻に甘えてばかりいられない
野口は覚悟を決めた
2011年12月5日、ラストチャンスと決め、12球団合同テストに挑んだ
しかし結果は、不合格
引退後、妻を安心させるため、就職
不妊治療…3年間で6回の人工授精を行ったが、妊娠せず
そして体外受精で妊娠
2016年10月18日、元気な女の子を出産した
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