デビュー/引退秘話」カテゴリーアーカイブ

ヨソで言わんとい亭で紹介

 

NHK教育「天才てれびくんMAX」でレギュラー出演し、

カリスマ子役としてブレイクした元カリスマ子役:橋本甜歌

 

●小5で年収400~500万円

NHKの出演料だけで300万円ほど

お金は母親が全てを管理していた

現場に入るとONに切り替え、家に帰った瞬間にOFF

楽屋では基本的に返しの練習を繰り返し、

子供らしい答え、面白い答えを求められ、色々練習した

当時、橋本はテレビで天然キャラを演じていた

 

●どうしてもやりたくなかったグラビア

子役と並行してジュニアアイドルとして活動していた

頑なにグラビア撮影を拒否していたが、事務所の圧力が凄すぎた

「写真集出すなら水着は嫌です」と断ると

「水着出さないと仕事もらえないよ今後」と小5の子供に恫喝

最終的に母親に押し切られ、写真集の仕事を断り切れなかった

写真集のイベントでは、おっさんが1000人も集まった

 

●子役を辞めた理由

普通の子供に戻りたいという気持ちが芽生え、

テレビの仕事を続けさせたがっている母親を強引に押し切り、

「天才てれびくんMAX」を卒業するとキッカケに芸能界を辞めた

さらに黒髪、清純なイメージを払拭するため、

金髪、ピアスのギャルデビュー、カリスマ子役から完全に決別した

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金スマで紹介

●E-girlsの原点は、2003年にHIROが開校したダンス教室「EXPG」

メンバーのほとんどがEXPG出身者

彼女たちがスクールに入った理由は、EXILEへの強い憧れだった

EXILEやJ Soul Brothersに昇格するという夢の受け皿があった男の子に対し、

女の子には無かった

彼女たちにも目標となるモノを作れないか?

そこでHIROは女の子だけで形成するユニットを発案

全国のダンススクールからダンスが上手な女子を集めた

宮崎校からは、SAYAKA、大阪校からは藤井夏恋、

全国から天才少女を東京に召集し、Happinessが結成

さらにHappinessのライバルグループとして全国から少女たちを集め、Flowerを結成

藤井夏恋の姉、藤井萩花がいた

しかしFlowerにはボーカルがいなかったためデビューは出来なかった

2010年の年越し番組「CDTVスペシャル!年越しプレミアライブ2010→2011」でボーカルオーディションの開催を発表した

3万人の中から選ばれたのが、鷲尾伶菜

鷲尾を加えてFlowerがデビュー

 

しかし当時、AKB48と韓流アイドルが台頭、

そこに割って入るだけのパワーがまだ3グループにはなかった

 

売るために悩んでいたHIROは、ふと閃く

EXILE-girls…EXILE-girls…E-girls…E-girls…やべーなこれ!

dream、Happiness、Flowerの3つのグループをまとめて売り出す斬新な試み

 

E-girlsの強化合宿では、辛いレッスンを重ねた

アスリートのように日々自分たちを追い込む

「Follow Me」を歌うボーカル10名中 4名を選抜

 

●退路を断ったFlower鷲尾伶菜の気迫

中でも並々ならぬ気迫でレッスンを行っていたのが、鷲尾伶菜

実は彼女には絶対に負けられない理由があった

1994年、佐賀県に誕生した鷲尾

鷲尾はクラスに馴染めずイジメの標的に

付けられたあだ名は「ゴミ」

彼女へのイジメは中学2年生まで5年間続いた

中学2年の時、母と一緒に行ったEXILEのライブで

LDHが運営するスクールが福岡に開校したことを知り、通う始める

スクールに通い始めて7ヶ月後、

資金面からスクールを辞めるように母に説得されるが

鷲尾は高校を辞めてバイトしてスクールに通う事に

レッスン代と交通費を稼ぐため、知り合いの美容室でアルバイト

さらに時給600円台のコンビニで昼夜問わず働き、

夢に向かって突き進んだ

しかし17歳のアルバイト費用だけでは、その全ては賄えなかった

そんな時、母はなけなしの貯金を崩し、鷲尾を援助してくれた

 

そして鷲尾は見事 ボーカルの勝ち取り、

2012年10月「Follow Me」が発売し、大ヒット

2013年のNHK紅白歌合戦に出演

 

あまりの厳しさについて行けず、すでに6人が脱退している

 

●芸能界を干されたHIROとE-girls

 

●お風呂に入らないE-girls Ami

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金スマで紹介

●芸能界を干されたHIROとE-girls

1990年にデビューした伝説のダンスユニット:ZOO

当時20歳だったHIROは、最年少ダンサーとして参加していた

デビュー2年目、1992年に武道館ライブを達成、絶頂を迎えた

1995年、ZOO解散

その後、HIROはすぐに新たなグループを結成し、再出発

しかしZOOという大きな看板が無くなってしまった後では、

中々仕事も貰えず、結局 そのグループもすぐに解散

芸能界的に言えば死んだも同じ、落ち目の人間に世間は冷たい

初めて知った社会の現実…

そしてHIROは、もう一度 武道館に立つ、と決意をする

1999年、30歳の時に、その決意を胸に夢へと向けて歩みだした

再び頂点に立つために目指した形は、

最高のダンサーとボーカルのユニット

 

メンバーを探すゼロからのスタートだった

HUROが目をつけたのは、当時のダンスシーンでカリスマ的存在だった

USA、MATSU、MAKIDAIの天才ダンサー、さらにボーカルを加えて、

EXILEの前身となるJ Soul Brothersを結成

事務所から貰える月給は、たったの6万円

牛丼屋で一つの牛皿をみんな分け合った事もあった

 

その頃、HIROは、avex社長:松浦勝人を訪ねた

松浦との出会いは、HIROの高校時代にまでさかのぼる

HIROが当時毎日のように通っていた貸しレコード店

その店長こそが松浦だった

大学生のアルバイトながら最新の輸入盤レコードに

独自の解説を加える事を考案して話題となり店の売り上げを

年間1億2年万円まで引き上げた凄腕の店長だった

高校が同じという縁もあり音楽好きの先輩後輩といった関係になった

それから十数年、彼はavexを創業し、音楽業界で絶大な力を持つまでに成長していた

 

「松浦さん もう一度ダンスで勝負がしたいんです」

プライドを捨て何度も頭を下げた

HIROはカラオケバーでの「ちょっと踊ってよ」というリクエストにも喜んで応えた

そして…「やるだけやってみろ」

松浦はavexとの契約を了承してくれた

こうしてHIROたちはavexから3枚のCDを発売

 

だが、当時は収入もほとんどなかった時代

HIROは松浦に頼み、avexのスクールでダンス講師のアルバイト

デビュー前の倖田來未や島谷ひとみにダンスを教えていた

夜は、知名度を上げる為に毎日 ステージ立った

ライブハウスだけでなく渋谷ハチ公前でのストリートライブ

「俺は本気で武道館をステージに立ちたいと思っている」

とHIROはいつもメンバーに語っていた

 

その後、2001年にボーカルATSUSHIが加入

EXILEとしてついにメジャーデビュー

デビューシングルは初登場4位

2002年10月、メンバーがそれぞれ50万円を出資し、有限会社エグザイルエンターテイメントを設立

社長のHIROを筆頭にメンバー是認が所属タレントであり社員

月給は15万円、東京青山に小さな事務所を借りた

ちょうどこの頃、HIROがアルバイトしていたavexのダンススタジオに現れたのが、松浦氏が手掛けるdreamの新メンバー

その中にいたのが、後のE-girlsのリーダー:Aya、Ami、Shizuka、Erie

松浦いわく「正直言うと本当に良いのがいないなという中で選んだ最後の4人」

入った当初から期待されていなかった4人

 

地方出身の彼女たちに与えられた住まいは、

avexで売出し中の年下の女優の部屋

女優が使うベッドの脇にあるわずか1畳しかないスペースに3人で寝ていた

居候生活2か月後、ようやく事務所が用意してくれた部屋は、

風呂もトイレも共同 築40年のぼろアパート

3人はこのアパートに4年間も暮らした

彼女たちは中学高校の青春時代の全てをdreamに捧げた

 

2003年、HITOは知人の会社と合併

社名を株式会社LDHに変更、本格的な事務所経営に乗り出す

 

新会社設立の2か月後には、

10枚目のシングル、ZOOのカバー「ChooChoo TRAIN」を皮きりに

1ヵ月で4枚のシングルをリリース

さらに暮れに発売したアルバムでミリオンを達成

そして2004年6月16日、EXILE初の武道館公演

その年の紅白歌合戦にも出場

 

本業が忙しくなったHIROは、ダンス講師を卒業

dreamにとってHIROは、遠い存在となってしまった

そして2003年9月11日、「うたばん」に出演

生まれて初めてゴールデンタイムのテレビ出演だった

オリコンで初のトップ10入りを果たした

 

ソロ活動を希望した主要メンバーの一人が脱退

それから間もなく、芸能人女子フットサル大会に参加

少しでも知名度を上げようと会社が決めた決断だった

そして毎日4時間ダンスレッスン後に猛練習

圧倒的 強さに優勝した

気が付けばダンスよりもフットサル中心の生活へ

彼女たちを歌手として売り出すには、どうしたらいいのか?

松浦は「dreamは解散する」という決断を下す

「正式に解雇するのは4か月後、それまでに新しい仕事を探すよう、それから今住んでいるアパートも出てもらう」

 

メンバーでお金を出し合い、機材を揃え、

スカウトしてくれる人を待って路上でライブ

解雇通告を受けてから間もなくShozukaの誕生会でのこと

HIROがATSUSHIとTAKHIROを連れて登場した

そしてこの時、マネージャーからHIROは初めて解散の話を聞いた

「実力もまだ全然見せていない もっと飛躍できるようなきっかけはあるんじゃないか」

とHIROはマネージャーに話した

マネージャーは松浦にメールを送る

“解雇の前にもう一度チャンスを下さい。彼女たちの未来をここで終わらせたくないです”

松浦はすぐにHIROに電話で連絡

「うちにdreamっているだろ?あの子たち可能性あると思うか?」

「はい、あると思います」

「HIROのところで面倒を見てやってくれないか?」

HIROは快諾した

その理由は、可能性よりもdreamへの情があったから

デビューから7年目、

2008年7月、解散を免れ、HIROが経営するLDHに引き取られた

 

「昔の僕が経験したZOOが、知らぬ間に終わっていたので、そこで共感して一緒にリベンジしようという感情が芽生えた」という

 

●E-girlsの原点

 

●お風呂に入らないE-girls Ami

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しゃべくり007で広瀬すずが自身の初恋を告白

14歳の時にミスセブンティーンに選ばれ芸能界デビュー

4歳年上の姉:広瀬アリスとセブンティーン初の姉妹モデルとして注目

7代目ゼクシィCMガールに選ばれ、涙する姿を撮影したCMが話題に

 

●初恋は小学校3年生

好きな男の子と両想いだと分かっていたので

バレンタインでチョコを渡すことに

直接渡すのが恥ずかしくて、

その男の子の兄と同じクラスだった広瀬の姉経由で渡した

その1ヶ月後、ホワイトデーの前日に机の中に赤いお手紙が入っていた

手紙には、“明日 遊ぼう?”と…

ホワイトデー当日、チョコのお返しを貰った

その赤い折り紙の裏に“好きです それだけ”と書かれていたという

 

●芸能界に入ったキッカケ

姉がセブンティーンのモデルだったので、そのイベントに母と一緒に行った

すると事務所の社長に「じき あなたもよ」と言われた

その2年後、中学2年生の時に、

「セブンティーンのオーディションを受けてみない?」と誘われた

バスケをやっていたので断ろうかと迷ったが、

断れそうになかったので、とりあえず受ける事に

すると受かってしまい、何となくモデルの仕事が始まった

芸能界に入りたいという気持ちは微塵もなく、

バスケット選手か保母さんになりたかったという

 

●人生を変えた出会い

「私にとっての運気UPお守り写真で、是枝監督と撮った写真を見るとホッとします」

出会ったのは2013年、映画「海街diary」のオーディション

その出会い以来、全く仕事が無かった広瀬に

何故か次々と大きな仕事が舞い込んできた

「私の人生を180度変えてくれた恩人です

 

●朝のむくみ

「朝のむくみが酷過ぎて本当にブサイク」だという

 

●顔を指されたら、アゴを出す

変装はメガネくらいで、基本的に下を向いている

顔を指されたときは、アゴを出してやり過ごす

 

●休日は、一人で行動

友人が少なく自分から誘えない

一人映画、一人しゃぶしゃぶ、一人バイキングまで

「食べてないと落ち着かないから」と1人で6皿も食す

一人カラオケでは、AKB48や少女時代の曲を流して踊っている

 

●ニラ好き

広瀬家特製の水餃子とニラが入ったニラ鍋とニラのつけダレ

ミキサーで細かく刻んだニラにポン酢を入れて食べる

 

●姉妹ゲンカ

ソファーのポジションの取り合いで、お互い蹴りあって落とす程度

 

●言葉間違い

母によると、言葉間違いがひどい

ブロッコリーをブッコロリ、クリスマスをクリクリマス、

機関銃を寄生獣…

 

●バスケ少女だった

小学生のときには東海大会まで進んだことも

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逢いたいSPで紹介

●野々村真が芸能界デビューしたキッカケ

1964年、東京都文京区で誕生した野々村真は、

リトルリーグに所属し、プロ野球選手に憧れていた

前年度 甲子園に出場した強豪校に入学

野々村は貴重な左投手だったため、1年生からレギュラーを獲得

そんな野々村を妬んだ先輩のイジメで十二指腸潰瘍を患い、

野球部を退部した

野球を失った野々村は、同級生の誘いもあり竹の子族に参加

 

そんなある日、モヒカンにリーゼント、サングラス…いかにも強面な男性から

「俺たちと一緒に劇団をやってみないか?」と声をかけられ、入団した

大和龍門は大手タレント事務所に所属しながら、

パフォーマンス集団:劇男零心会を作るため役者をスカウトしていた

野々村にとって大和龍門は、尊敬できる先輩、頼れる兄貴のような存在となった

 

路上でのパフォーマンスも人気となり、次第にファンも増えていった

風見しんご、羽賀研二、哀川翔、柳葉敏郎など新たなメンバーが加わる事に、

 

劇団で活躍する一方、テレビ番組のオーディションに参加するようになっていた

しかし合格する事はなかった

 

そんなある日、大和龍門が、

「今度のオーディションは絶対に制服で来いよ」

オーディション当日、劇団のメンバーも参加

何と審査員の前で劇団員たちは、突然タバコを吸い始め、

与えられたセリフも無視…傍若無人な態度をとった

野々村は横柄なメンバーたちとは違い、真面目にオーディションを受けた

そしてオーディション後、

「お前の合格は決まったな。俺らがあんな態度をとればお前が優等生に見えるだろ」

野々村を目立たせるため、メンバーがわざと横柄な態度をとっていた

そして野々村だけがオーディションに合格し、

「笑っていいとも!」の初代青年隊に抜擢された

 

平日の昼間は青年隊として出演、

土日はその他の芸能活動をこなし、忙しい日々を送っていた中、

久しぶりに稽古場を訪れた時…「あれ?大和龍門さんは?」

「大和龍門さんは劇団を辞めたんだ」

事務所の社長と劇団の今後の方針でもめ、事務所を辞めたという

関係者たちに居場所を聞くも誰も知る人はいなかった

 

劇男零心会から分裂したグループが後の一世風靡セピア

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