あの芸能人の過去」カテゴリーアーカイブ

表参道にあるバレエスタジオを経営する宮沢さゆり

自宅は渋谷区で娘と暮らしている

カレンを妊娠中にウクライナ人の父親が

不倫して不倫相手の元に そのまま離婚

その後、母親が一人でカレンを育ててきた

 

・バレエスタジオ リビーナ:港区北青山3-5-25

ロシア人が指導してくれる本格的なバレエスタジオ

 

●滝沢カレンの母親:宮沢さゆり

幼い頃にバレエに魅せられた宮沢さゆりは、

高校を卒業後、親に内緒で働いて留学費用を貯め、

語学留学を名目にソ連に渡った

毎晩のようにボリショイ劇場のバレエ公演に通った

帰国後は、偶然にもロシア人バレエ講師の通訳になったり、

ロシア人バレエ講師に密着して、

ロシアバレエレッスンという本を制作

 

表参道で宮沢の父が経営していた建築事務所が倒産し、

テナントが空いたため、バレエスタジオを開いた

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シンガーソングライター:比花知春は、

福岡を拠点に歌手 タレントとして活躍

5人兄弟の上から2番目に生まれた

知春が中学2年生のときに、龍二が誕生

 

小さい頃から龍二は

「ビッグスターになる」という夢があった

彼の部屋には“スターになるぞ”“輝け”

“たいようより熱く”といった自分を

振るい立たせる言葉が壁一面に貼られていた

2年前、高校を卒業した龍二は、

ビッグスターになるというザックリ過ぎる夢を胸に上京

アルバイトをしながら夢を追いかけていた

 

●変身

すると上京した弟を心配していた知春に最もショックな出来事が

“知春!オレ、彼女ができたよ”とメッセージが来た

誰?何歳?騙されているんじゃないかしら?

知春は母を伴って弟の彼女をチェックするために上京するほど

紹介された彼女は、挨拶もしっかりとする礼儀正しいモデルだった

 

安心して福岡に帰ると“今度 行列に出るから観てね”と連絡が来た

行列のできる法律相談所で弟を見た知春は、「誰?」

知春の愛する弟がわずか1年で変身を遂げていた

パニック状態なっているとすぐに家族から

姉から“あの喋り方は何なの?”母は“あの子に何があったの?”

父は“変わってしまった…”と家族全員が戸惑っていた

 

●キャラクターと設定

知春によると、りゅうちぇるは、声が高くて別人

ちぇるちぇるランド?ってドコ?

りゅうちぇるの出身と本名は、沖縄出身の比嘉龍二

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●芸名:夏木マリの由来は、夏に向かって売れたい

 

1971年、19歳の時に本名の

中島淳子で「小さな恋」にて歌手デビュー

レコードを2枚リリースしたが、全く売れなず、

キャバレーまわりの日々が続いた

 

そこで1973年6月に再デビューが決まった

 

夏に向かって売れたいと、願いと込めて

夏に決めたい→夏決まり→夏木マリ

 

現在の夏木マリとして「♪絹の靴下」をリリース

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統合失調症に苦しめられた松本ハウス:ハウス加賀谷

ボキャブラ芸人として大ブレイク

そんな活躍の裏でハウス加賀谷は、統合失調症を発症

 

●精神の病:統合失調症

悪口を言われていると感じたり、

実際にはいないのに宇宙人が見えるといった幻覚、

命を狙われていると信じ込む妄想、

集中力や記憶の低下、感情表現が鈍くなるなどの症状に襲われる

 

●ボキャブラに出演している時に症状が悪化

家を出るときに忘れ物をしたかなと思って部屋の中を振り返る

大丈夫だと思って行こうと思うと1時間半経っている

時間の感覚が分からなくなり、遅刻が増えていった

 

●自殺未遂

タモリのボキャブラ天国で忙しかった時期に、何度か自殺未遂

衝動的に死んでしまえと睡眠薬を200錠 飲んでしまった

奇跡的に翌日に目が覚めた

当時 加賀谷は自分が嫌いだった

精神疾患を持っている自分自身を受け入れられていなかった

 

●発症したのは、中学2年生の1学期の終わりくらい

それは自己臭恐怖症

加賀谷は授業を1番前の席でうけていた

先生が加賀谷のすぐ後ろの女子生徒を注意した

「○○!何でそんなふて腐れた態度をとってるんだ!」

その女子生徒は、下敷きをうちわ代わりにして扇いでいた

前に座っている僕が臭いから扇いで臭いを飛ばしてるんだと思った

すると、それから「加賀谷君 臭い」と幻聴が聞こえるように

 

それは高校進学後には、幻覚の症状も発症

治療に専念するため16歳でグループホームに入所した

本人に病名は伏せられたまま

グループホームで1年を過ごし、症状が改善

 

加賀谷は精神科の病院に通いながらお笑いの道へ進む

芸人として多忙となる一方、統合失調症の症状は悪化

 

1999年、松元ハウスは活動を休止した

加賀谷は芸人を辞め、治療に専念することに

 

2009年、松元ハウスが活動を再開

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1941年、銀座生まれの田園調布育ち

高校時代に大河ドラマ「太閤記」に出演

慶応大学中等部→慶応大学法学部に入学

 

大学卒業後は、劇作家を希望し、劇団四季の演出部に入団

毎年 公演する子供のためのミュージカルの一作を書いた

苦労して書いたものよりも出演した方がギャラが高いと思うように

 

1969年、28歳で大河ドラマ「天と地と」に主演

さらにフジテレビのトークバラエティ「スター千一夜」の司会に抜擢

●スター千一夜のギャラは無し

ある作家の絵が好きで死ぬまでに

作品を所有したいと思っていたところ、

岐阜にある画商に作品が出された

値段は1500万円、貯金をかき集めると500万しかなかった

そこでフジテレビに「1000万円」の前借をお願いした

スター千一夜からギャラを引いていく約束でお金を貸してくれた

結局、スター千一夜中に1000万円を返せず、

松平健が主演の昼ドラ「人間の條件」のナレーションを担当

そのドラマの途中で1000万円を完済

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