あの芸能人の過去」カテゴリーアーカイブ

●ヤンキーが大好きなグラビアアイドル:岸明日香

 

2014年、芸人:ロッチのコカドケンタロウの

自宅マンションお泊りデートがスクープされた

 

●地元:大阪の友人

地元の友人とは、今も付き合いがある

現在 友人たちはバニーガールだったり、中古車屋で働いていたり、

お祭りの屋台で焼きそば作っている

 

最近、お祭りの屋台で焼きそば作っている男友達に

「みんなでご飯 行こ」と誘ったら「今行けへんねん」

「どうしたん?」「入院」「病気?」「ちょっと刺されて」

 

そんな岸の元カレは、ヤンキーだという

15歳の時に付き合っていた彼は、暴走族

岸いわく「ヤンキーは浮気しないので良い」らしい

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高校時代からモデルとしてMEN’S NON-NOなどで活躍

19歳でパリコレにも出演

 

俳優デビューは、2001年 映画「時の香り~ リメンバーミー」

 

10代の終わりころ、斎藤はロマンある旅にハマっていた

沢木耕太郎の小説「深夜特急」に感化され、

日本からヨーロッパまでの壮大な旅

2、3か月ごとに海外と日本を行き来し、

1年の半分は海外という生活

 

そんな斎藤には当時付き合っている彼女がいた

海外に行っている間、彼女との連絡は

週に一度メールで安否の確認する程度

日本に戻ってきたある日のこと、

「もう別れましょう。あなたにはついていけない」と別れを告げられた

 

そんな斎藤の生態は、

●お尻と脚の付け根にできる隙間を愛する

そこから陽が射すと、ご来光のようにありがたがる

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●男手一つでトレンディエンジェル斎藤を育てた父

某有名大学を卒業した父は、外資系の一流企業で働き、

プジョーのオープンカーを乗り回すエリートサラリーマン

 

斎藤が17歳の時に、母が病気で他界

父は当時 高校2年生の斎藤をはじめ、

中学3年の二男、小学4年の娘の3人を一人で育てることに

それまで料理などしたことがなかった父にとって家事は苦難の連続

 

その一方で斎藤は、人見知りで友人ができず、悩んでいた

多感な時期に母を失い、苦悩していた斎藤に父は気付くことができなかった

付属高校に通っていた斎藤は、

友人がいないため学校生活で言葉を発することはなかった

 

系列の大学ではなく別の大学へ進学したいと希望したが、

精神的も経済的にも限界だった父は、

許すことができず、そのまま系列の大学へ進学

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ウエスト58㎝のモデル:太田葉子

現在43㎏だが、小学校の卒業式の時には76㎏と太っていた

 

●1日7、8食の食生活

・朝起きるのが苦手だった自分にアイスクリームのご褒美

朝起きるたびにアイスクリームを食べていた

・1時間の通学時間は、お菓子を食べながら

・学校に着くと唐揚げとおにぎり

・11時くらい、給食まで待てないため早弁

・もちろん給食も食べる

・学校帰りは、肉まんやピザまん

・もちろん夕食も普通に食べる

小学生の時に、ご飯は どんぶりで3杯

当時から人よりも多く食べている自覚はあったが、止められなかった

毎朝 学校に着くと唐揚げとおにぎりを食べていたので、

別のクラスの生徒が「面白い奴がいる」と見に来た

「本当に食べてるー!」

このままだとイジメられると思って、

持っていた唐揚げを「食べますか?」「大丈夫、面白いね」と

イジメられることなく学校生活を過ごした

 

●痩せるきっかけは、蛯原友里

年の離れた姉が持っていた雑誌:CanCamではじめて蛯原友里を見た

「私もワンピース着たい」と言うと、姉にファッションビルに連れて行かれた

いろいろ服を渡されて「来てみ?」と言われて、試着室へ

その店の服は、1着も入らなかった

「服入んないでしょ?お前はデブなんだよ」と宣告された

太田は初めて、自分は太っていることに気付いた

エビちゃんに憧れ、ついにダイエットを決意

誘惑に負けそうなときは下敷きに入れたエビちゃんを見て食欲を抑えた

そして夏休みの間に10㎏の減量に成功

その結果、新学期初日、自分の席に座ると

「えっそこ太田の席だよ」とクラスメイトに言われた

「太田です」「えー!痩せたね!」

 

●ダイエット

・朝起きてから2時間のランニング

・昼間はウインドブレイカーを着込んでテニスラケットの素振り300回ずつ

・夜はサッカーのリフティングを1000回

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ディーン・フジオカは、日本生まれの日本育ち

 

1980年に福島県で生まれ、3、4歳で千葉県に引っ越した

幼少期に母からピアノの英才教育を受ける

 

高校生の時、妹が勝手に応募したジュノン・スーパーボーイ・コンテスト

応募総数10563人の中からファイナルに選ばれ、スカウトされるが、

「特に芸能界なんか興味ないんで」と断った

 

1999年、高校を卒業後、「日本で会社勤めをして…というよりアメリカで新しいIT関連の仕事をすればビル・ゲイツやジョブズのようなトップになれるんじゃないかな」とアメリカ シアトルの大学に進学

最近では、花粉症がひどかったから、を渡米の理由にしている

そこでお世話になったホストファミリーの父から呼ばれた愛称が「ディーン」

 

2001年8月11日、大学卒業2年前に発生した同時多発テロ9.11

これによって外国人へのビザが発行されづらくなる

アメリカへの定住を断念するしかなかった

 

2003年、大学の教授に「21世紀はアジアの時代だ」と言われ、

韓国、中国、ベトナム、カンボジア、タイなど3か月間 アジアを放浪

 

2004年、香港のクラブイベントを訪れ、主催者にステージに誘われ、

アメリカで鍛えたラップを披露した

たまたま客席にいたファッション雑誌の編集者にスカウトされた

旅を続けるために定住し、アルバイト感覚でモデルに

デビューは香港版フライデーで特集6ページ

 

2005年、香港映画「八月の物語」で主演

 

2006年、アンジー・チャイ プロデューサーからテレビドラマのオファー

活動拠点を台湾に移し、ブレイク

 

2012年、インドネシア人女性と結婚

2年後には双子が誕生、一男一女のパパに

 

2013年、初監督作品「I am ICHIHASHI 逮捕されるまで」で日本進出

 

2015年、ドラマ「探偵の探偵」で日本の連ドラデビュー

双子の子供と妻が待つジャカルタと日本を行き来しながら、

NHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」で五代友厚を演じた

 

・グルテンアレルギーで小麦粉がダメ

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