月別アーカイブ: 2016年10月

早稲田大学の卒業後、俳優の道へ

「20世紀少年」や「大日本人」にエキストラ出演

 

俳優を諦めたワケは、才能がなかった、向いていなかったから

 

「俺は芽が出ないまま一生終わるかもしれないとモヤモヤしていた時に本屋に行き、気象予報士の資格の本に出会った

 

「やって後悔するより、やらんで後悔する方が一生悔いが残る」

明石家さんまの言葉がきっかけで転職に踏み切った

気象予報士の合格率は、5%

蓬莱は、見事 合格し、気象予報士になった

俳優時代の年収は1~2万円、現在は、500倍に年収がアップした

 

5年前、劇団四季の彼女にプロポーズし20011年 結婚した

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●本名は、野村耕蔵

芸名は、姓名判断の本を渡され、自分で考えてこいと言われ

木の言葉を入れようと模索、結局「樹」で調べると「一」しかなかった

「かずき」と呼ぶつもりだったが、

事務所に「そんな甘ったるい名前ではダメだ」と「いっき」と呼ぶように

 

●子供の頃は、貧乏だった

お金持ちのボンボンだった父親は、

毎晩のように飲み歩き、帰ってこない

180㎝を超える長身で、白いスーツを着こなしていた

家にお金がないのが普通で自宅の土壁にはヒビが入っていた

お金がないので、落ちているスラッとした石を

仮面ライダー人形に見立てて遊んでいた

12歳の頃、父が借金1000万円を抱え、両親が離婚した

この頃に母から「芸能界に進め」と言われた

 

●俳優を目指し18万円を持って上京

高校卒業後、地元でアルバイト生活

憧れの映画の世界は諦めきれなかった

20歳のときに18万円を持って上京

上京初日は、公園のベンチで野宿

バーテンダーなど様々なアルバイト生活

 

●21歳で人生で初めて彼女ができる

ひとりの女性と知り合い、同じ年の妹を紹介され、交際

1か月後、初めてキスすると、後は馬車馬のように

 

●25歳で、MEN’S CLUBの専属モデルに

トップモデルとなり年収1000万円を超えた

 

●29歳で俳優デビュー

「松田のドラマ」(内村光良監督)で俳優デビュー

 

●2000年、32歳で5歳年下の元モデル:余西 操と結婚

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●微妙な改名を繰り返す女優:大谷みつほ

1998年、15歳で大谷允保としてデビュー

允保が読みにくいという理由で、

翌年のドラマから、大谷みつほになり、

その4年後には允保、休業してから9年後には、みつほに

 

休業中は、夜は2カ所でバーテンダーとして働き、

昼間はメンタルトレーニングの勉強

その間は、緑川と名乗っていた

 

2015年2月、アパレル関係の仕事をしている香港の男性と結婚

出会いのきっかけは、Facebook

ある日、Facebookに知らない男性からメッセージが送られてきて、

そのメッセージを読んで好きになってしまった

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2016年10月2日、女優の比嘉愛未が、

映画「カノン』」の公開記念舞台挨拶に出席し、

比嘉家が琉球王朝の末裔であることを知ったエピソードを話した

 

「わりと最近、沖縄に帰った時、101歳になる、

まだ元気なひいおばあちゃんの家に行って話をしていたんですけど、

いつも家の額縁に不思議な紋章が掲げられていて

気になっていたので『あれ、何?』って聞いたんです。

そしたらおばあちゃんが『あれ、あんた知らなかったの?』って。

『うちは沖縄の琉球王朝の末裔なんだよ』って」

と琉球王朝の末裔であることを告白されたことを語った

 

2002年に通っていた塾の講師からスカウトされ、高校の合格発表後、

その講師の知人を通じて沖縄のモデル事務所「Dine and indy」に入り、

モデルとしてデビュー

 

2007年4月にNHK朝の連続テレビ小説「どんど晴れ」に初出演で初主演を果たす

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中学から高校までバレーボールで活躍し、

大阪選抜のキャプテンを務めていたほどの実力

 

大学を卒業後、モデルとしてデビューした直後、

2003年 イ・ビョンホンが、長年 イメージキャラクターを務めていたダンキンドーナツのCM出演に抜擢

 

韓国で第二の竹野内豊としてブレイク

2006年から韓国のドラマに出演するように

 

2016年より日本での活動を開始し、

ドラマ「ラヴソング」で日本のテレビドラマに初出演を果たした

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