デビュー/引退秘話」カテゴリーアーカイブ

業者並みのこだわりを持つV6:坂本昌行の趣味

 

・PCで建物の3D設計

日本テレビタワーは、どこからも発注されていないのにかなり精密

制作に1か月を費やした代々木体育館が自信作

ジャニーさんが座るパイプ椅子、楽屋、洗面台、水道の蛇口まで精密

 

・調理器具には業者ばりのこだわり

料理上手な坂本は、暇さえあれば業者専用の調理器具店へ

自宅には舟盛り用の舟、おでん屋のおでん鍋、鍋やっとこ…

 

・週5でジム

有酸素運動は一切せず、筋肉に異様なこだわりを持つ

24キロのダンベルを軽々持ち上げ、大胸筋を鍛える

 

・苦労人

20歳の時にアイドルを辞め、旅行代理店で働き始めた

そん時、電車でばったりと出くわしたのがデビューしていないKinkikids

「坂本くんは今何やってんの?」と聞かれ、何も答えられなかった

今の自分を見せるのが恥ずかしい、情けないと感じた

その後、ジャニーズに復帰、当然仕事はなく、

東山紀之の付き人となり送り迎えや身の回りの世話をして給料をもらうように

給料はジャニーズ事務所から出ているものだと思っていた

しかし坂本の給料は、東山紀之が全て自腹で払っていた ことを知る

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自由奔放すぎるV6:三宅健の生態

泉ピン子に「ピンちゃ~ん 肌キレイじゃん」と言えるほど

大物芸能人相手でも物おじしない性格で自由奔放

 

1979年、神奈川県生まれ

幼い頃は毎日病院に通っていた

そんな体質を改善しようと水泳を始める

すると次第に体も丈夫になりスポーツ大好き、活発な男の子に成長

幼稚園に入ると可愛い子を見つけてはチューをするおませな子に

 

中学2年生の時、親戚の叔母がジャニーズ事務所に応募

その2日後、ジャニー喜多川から電話が

「今度SMAPのコンサートがあるからYOU出ちゃいなよ」

そのままジャニーズ事務所に所属

SMAPのコンサートでいきなりステージデビュー

その後ジャニーズJr.として活動を始めると、

森田剛と共に剛健コンビとして一躍人気者に

人気はすさまじくデビュー前にコンサートを開催

 

15歳の時、「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の企画、

ジャニーズ予備校セレクションが放送

ジャニーズ入りをめざし全国から終結した男子が

各地から集まったオーディションに当時14歳の岡田准一が参加

この時、審査員を務めていたのが剛健コンビ

2人が目をかけた岡田は見事オーディションに合格

その7か月後、バレーボール ワールドカップのイメージキャラクターとしてV6を結成

 

1997年から放送が開始した「伊東家の食卓」の長男役として出演

その後も舞台やドラマなど活躍

自由奔放なキャラクターでバラエティー番組でも人気に

 

●三宅健の第一印象

坂本昌行によると、とにかく歯を磨いている子

長野博によると、気だるそうな子供

井ノ原快彦によると、ヤバい奴だという噂を聞いていたけど意外といい奴でした

森田剛によると、生意気

岡田准一によると、森田と共にジャニーズJr.を変えたレジェンド

 

●三宅健に直してほしいところ

坂本昌行によると、コンサートのMCの時に話を振ると「え?何が?」と返ってくる

長野博によると、食い散らかす

井ノ原快彦によると、寝起きが悪い、人の話を聞かない、自分で言ったことを忘れる。いい加減にしてください

岡田准一によると、森田君を好きすぎるところ

 

●最年少:岡田准一はおもちゃだった

学校のあった岡田は早い時間に寝ていた

学校の無い三宅と森田は、岡田を寝かさなかった

寝ているところを襲って、いたずらしまくっていた

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●貧乏女優:緑川静香がデビューしたきっかけ

5歳の時に父親が蒸発し、どん底の貧乏に

高校時代まで知人の物置で家族と生活

公園の葉っぱやスーパーの試食で9頭身に育った

 

雑誌の編集マンにスカウトされ、ずっと断っていた

「撮影現場にはお菓子がいっぱいあるよ」

と誘われたのが芸能界入りしたきっかけ

 

当時、貧乏すぎて白いご飯を食べるのが精一杯で、

お菓子は憧れでしかなかった

 

初めてグラビアが掲載された雑誌を母が内緒で2冊も購入していたという

 

月イチで使ってもよいお風呂が雷で破壊され、

タオルで拭くか、公園で水浴びするしかなかった

 

●筆箱はお菓子の箱が代用

小学校の時、筆箱が買えなかったので

友人の家で出されるアーモンドチョコレートの箱で代用していた

 

●ご馳走は、道端に生えている猫じゃらし

生の葉っぱと猫じゃらしの素揚げ

 

●特別な日だけのご馳走は、赤いきつねの炊き込みご飯

自転車を買ってもらえずいつも走っていた緑川は異様に足が速くなった

運動会で1位を取った時の、年に1度のご馳走

白いお米に、ちぎった麺、かやく、粉末スープをを加え、炊き込む

それを容器に戻して食べるのが緑川流

赤飯の代わりに食べる「レッドライス」と呼んでいた

 

●空腹に耐えられなく目の前のコオロギを食べた

味を一言で言うとマイルドでコクがある

左後ろ足から一口で ●国語の教科書は美味しい

国語の教科書が美味しいのは、

ストーリーを見ながら食べられるので香ばしく甘い

 

●公園の葉っぱを食べていた

何の葉っぱが食べられるか?母に聞くと

「火を通せば何でも食べられる」

しかし母がいないと火が使えない

「そうした時はどうしたらいいの?」と聞くと

「太陽には殺菌作用があるから、日光に葉っぱをかざしなさい」

自分の手が熱いなと感じたら食べごろと教えられた

 

●歯が生えた状態で生まれた

緑川が生まれる前、母のお腹にいるとき、

貧しい家に生まれることを予感していたのか、

母の栄養を取れるだけ取ろうとしたようで

出産のときに、歯が生えた状態で生まれ、

母の歯が全部抜け落ちてしまった

緑川家は先天性の貧乏で、母も栄養が足りていなかった

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A-Studioに電気グルーヴ:ピエール瀧が出演した

 

●石野卓球との出会い

高校1年生の時、野球部に入った瀧は、

別の中学から入部してきた1年生と知り合った

瀧はYMOなどのテクノ系の音が好きだと音楽の話をしたところ、

「だったら中学の同級生でスゴイ詳しい奴がいるから今度遊びに行こう」

友人に誘われて遊びに行った先が、石野卓球 宅だった

 

●阪神タイガースの入団テスト

1985年、18歳の時 甲子園で阪神タイガースの入団テストを受けた

高校3年間、野球を続けた瀧は、甲子園に行けなかった

そんな時、阪神タイガースの入団テストが甲子園で行われることに

これに応募すれば合法的に甲子園に立てると記念のつもりで受けてみた

50m走と遠投は合格し、ノックとバッティングに進んだ

阪神のバッティングピッチャーの球をケージの中で打って満足し帰宅

もちろん合格には至らなかった

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NHK連続テレビ小説「マッサン」で妻のエリー役に抜擢

 

●エリー役に抜擢されたきっかけ

アメリカの雑誌に載っていた「マッサン」のオーディション広告を見た

アメリカでウェイトレスをしていたシャーロットは、

日本語も全く分からない状態で応募し、見事、ヒロインに抜擢された

毎日 毎日 勉強し、日本語は日常会話に困らないくらいまで上達した

 

●スリムなのに力持ち

ドラマで共演した濱田マリによると

撮影で濱田が1週間ぶりに現場に行き、シャーロットとハグをすると

そのまま濱田を持ち上げてグルグルと回してくる

 

●日本食

焼肉、しゃぶしゃぶ、寿司、天ぷらなど何でもOK

最も好きなのが、餃子

まだ納豆は挑戦していない

 

アメリカ・サンタフェ芸術大学の演劇ダンス専攻でBFA(学士)を取得したのち、

ノーザンイリノイ大学で演劇専攻のMFA(修士)を修了、

その後演劇スクールのステラ・アドラー・スタジオNYなどで演技とダンスを学ぶ

女優としては舞台や独立系の映画を中心に出演しキャリアを積んだ

小学校の時に退学処分を受けて転校したことも

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