日別アーカイブ: 2016年5月27日

1987年、16歳のときにザ・テンプターズのボーカルとしてデビュー

自宅がある大宮から仕事場へ行く京浜東北線が毎日ファンで満員に

ついに当時の国鉄から事務所にクレームが入った

 

●1971年、ザ・テンプターズ解散し、

沢田研二とバンド:PYGを結成するも1年で脱退

 

●1972年、映画「約束」でサード助監督で参加し、主演に抜擢

レフやバッテリー持ちながら、演じた

 

●「太陽にほえろ!」に新人刑事:マカロニ役で出演

人気絶頂時に自ら殉職を希望し、

死に方のアイデアは萩原健一が考えた

 

●1974年、「傷だらけの天使」

衣装からストーリーに至るまでショーケンのこだわりが満載

 

●1980年、映画「影武者」

主役に起用された勝新太郎が半年に及ぶリハーサルのあと突如降板

その理由は「○○してる時間があるなら ちゃんとリハーサル来なきゃ」

現場に来ない勝新太郎を滞在先の

ホテルニューオータニまで説得に出向いた

「部屋に入ると○○臭い。部屋には内田裕也もいた。何やってんの?と声をかけた」

「信玄は分かるが、影武者は分からない」と勝新太郎が言った

「それは考えなくていいから出てこい。それは君が考えることじゃないから」

 

●宇宙柄のパンツを穿くほど宇宙が大好き

 

●強引な取材をするテレ朝の芸能レポーターをカメラで撮影し、

「撮られる側の気持ちが分かるか」と一喝

 

●着ぐるみのアルバイトをしていた

芸能活動自粛中に、養育費のために

スヌーピーの着ぐるみのアルバイトを1年近くしていた

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1985年、NHK朝の連続小説「澪つくし」で主演を務めた川野太郎

その後も大河ドラマや昼ドラなど数多くのドラマに出演し、

主婦に人気の名俳優に

プライベートでは1991年にOLをしていた珠美さんと結婚

2人の子宝に恵まれ、幸せな生活を送っていた

 

2009年7月、体調がすぐれない珠美さんが

病院で精密検査を受けたところ子宮頸がんと診断

最も深刻なステージⅣまで進行していた

がん専門の病院へ店員が必要となり、

医師に紹介状を書いてもらうことに

 

「ここでは放射線治療ができません。紹介状を書きますので がん専門の病院をお勧めします。お住いの近くで実績もある総合病院を紹介させていただきます」

通常 紹介される病院は、

自宅近くや医師同士の交流がある病院が多い

「先生、ちょっといいですか。もし先生が治療を受けるとしたら どの病院ですか?」

この質問で転院する病院が変更となった

必ずしも医師が勧める病院に行く必要はなく

患者のリクエストした転院先を書いてもらえる

妻を助けたい一心で出た言葉だった

 

病院を紹介してもらった珠美さんは、最先端の治療を受け、

ステージⅣまで進行していた がんは全て消滅した

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1997年、シドニー五輪を目指す

全日本女子バレーボールの監督:葛和伸元

ついたあだ名は、ニッポンの怒る人

1964年の東京五輪以降、初の予選敗退

世間から大バッシングを受けた葛和は、

責任を取り辞任した

 

●元全日本女子バレー鬼監督:葛和伸元は今…仙台で時給750円のバイト生活

 

葛和監督が働く店は、さぬき麺屋 仙台泉直売所

モチモチで弾力にある自家製麺を使った「温玉ぶっかけ」が人気

時給750円、1日4時間、週3日働き、月36000円稼いでいる

 

実は妻と息子を東京に残し、仙台で一人暮らし

57歳で監督を引退した葛和は、再就職をトライ

添乗員、喫茶店、お好み焼き店、旅館など

転職を申し込んだが、面接もさせてもらえない

そして59歳のとき、ようやく再就職

バレーの2部リーグ 仙台ベルフィーユの監督に就任

週6日、夜はバレーの監督をしている

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