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V6:森田剛が しゃべくり007に出演、グループ内で

いまだに波長が合わないメンバーは?

の質問に井ノ原快彦を名指しした

「井ノ原君は、合わないですね」

それは、森田のジャニーズのオーディションのとき

すでにジャニーズに入っていた井ノ原は、父兄にお茶を配っていた

「直の先輩なので関係がずっと変わらないんですよ」

6人で打ち合わせをしても、井ノ原君にだけは伝わらない

「感覚が違うのか~な~」としみじみと語った

 

●森田はお金を持ち歩かない

喉が渇いても、我慢するほどお金を持ち歩かない

その理由は、手ぶらがイイから

持ち歩くのは、ポケットに入る携帯と鍵のみ

 

●コンビニ袋だけで海外に

手ぶらで行きたいため、コンビニ袋1つで海外旅行

逆に怪しまれて取り調べされたという

 

●茶碗の飯は、適量でないと食べられない

家庭の教えが、男が台所に立つな、だった

ご飯がよそわれるのを待っている

自分の好きな量でないと食べる気を失ってしまう

親に怒られた記憶が、いまだに鮮明に残っていて

適量でないと食べられなくなった

その適量は、茶碗に対しての割合で決まる

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KAT-TUN:中丸雄一

●とにかく父親が厳しかった

幼い時から ちょっとでも間違ったことをすると殴られた

中学生のころ、分からない程度に母親のブリーチ剤を使ってみたが、

髪の色ではなくブリーチ剤のニオイで父親にバレてしまい、

殴られた後に床屋に連れて行かれ、丸坊主に

そんな厳しい父親だが、若い頃に

ジャニーズのオーディションを受けて落ちていたことを最近 知った

 

●仲が良いジャニーズ

NEWS:増田貴久がオーディションも一緒だった同期

年齢も一緒で家が近所の嵐 二宮和也とも仲が良い

メンバーが辞めていったのを気にしてくれた二宮に

何度か自宅に呼ばれて励ましてくれた

他にも漫画家:東村アキコとは、たまに飲みに行く仲

 

●趣味はプロ級のイラスト

ロケで行った場所をデフォルメして描く

何となく描いたキャラクター:キツネのきっくん

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物欲がない嵐:大野智

 

●芸能界には興味がなかった

ジャニーズには、親が応募し、受かってしまった

好きになったダンスが自分の中で極まったと思ったので、

「ジャニーズを辞める」とジャニーさんに電話した

「とりあえずYOU来ちゃいな」と言われたので行ってみたら、

「レコーディングを手伝ってくれ。とりあえず歌っちゃって」と言われ、

とりあえず「♪A・RA・SHI」を歌った

すると「来週ハワイ行くから」とデビューの話をされないまま、

ハワイで記者会見となり、流れるまま現在に至っている

 

2006年2月に個展を開いて、芸能界を辞めたいと思ったという

 

●嵐の影のリーダー:櫻井翔

彼は決めたがりなので、そんなとき「ありがとう」と心で思う

 

●買い物に行かない

洋服は貰ったり、親が買ってきてくれるから

「ウチの親 センスいいですよ」

 

●一切 テレビは観ない

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ジャニーズ初のロックバンド:男闘呼組のキーボードを担当した前田耕陽

当時のジャニーズとしては珍しい本格ロックを自ら演奏し、一躍ブレイク

結成から10年、1993年に活動休止

 

●デビューのきっかけ

学校の女子が全校生徒の男子150人分の

履歴書をジャニーズ事務所に送った

150人の中で一人前田だけが、書類選考を通過

 

するとジャニー喜多川から直接、電話がかかってきた

「ジャニーだけど。今トシちゃんのコンサートやってるから新宿まで来い」

新宿に行き、コンサートを観た後、

「今度こういうグループを作ろうと思うんだけど、君やる気ないか?」

それが男闘呼組だった

 

「バンドだから、君は楽器 何できる?」

小学校のときピアノを習っていた前田は、キーボード担当となった

当時のバンドブームに乗って結成され

「DAYBREAK」「TIME ZONE」などが大ヒット

 

●デビュー当時、毎日 缶詰にされていた

デビューするにあたって楽器の練習をしなきゃいけないと、

学校が終わるとスタジオに缶詰めにされた

夜の10時~朝の5時まで外からカギがかけられる

「どうしてものときは警備員に電話しろ」

 

●演奏していない

男闘呼組は演奏していない、と噂になっていた

大磯ロングビーチのサマフェスにゲストで出演した際、

男闘呼組の番になると電源が落ちた

一生懸命 演奏しているのに音が出ないから、

やっぱり演奏していないと噂が大きくなった

 

●激太り

デビューしてお金を貰うようになると朝まで飲み明かすことが多くなった

飲むとお腹が空く、空いてる店は焼肉屋しかない

前田は毎日 焼肉屋に通っていた

デビュー時56キロだった体重は、解散時72キロに増加

 

●ギャラ

デビューから歩合で、MAX年収は、3000万円くらい

 

●できちゃった再婚

2006年、吉本興業の芸人:海原ともこと再婚

海原は関西のローカル番組「なるトモ!」にレギュラー出演していた

前田は、月1回のゲスト出演で前の日から大阪に入り、

度々、出演者同士の食事会に参加していた

そこで仕事以外でも面白い海原に魅力を感じるように

プロポーズは「ちょっと俺の子供 作ってくんない?」だった

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Hey!Say!JUMP:中島裕翔は、10歳でジャニーズ事務所に

するとわずか10ヶ月でジャニーズJr.内の

ユニットJ.J.Expressのセンターに抜擢された

 

翌年には亀梨和也の「野ブタ。をプロデュース」に出演

2007年にHey!Say!JUMPのメンバーとしてデビュー

堂々、センターを務めてスターへ駆け上がった

 

そんな中島にスランプが訪れる

 

2ndシングルのPV撮影時、中島は定位置のセンターへ

ところが「中島と山田、立ち位置 替えてみようか」

突然センターを外された

CDジャケットも一番端へ、さらにバラエティやドラマの仕事も激減

 

高校ではメンバーの山田涼介や知念侑李と同じクラスになったが、

山田は仕事が忙しく早退もしばしば、たまに知念も仕事で早退

一方 中島は仕事がなく皆勤賞をとった

 

腐りかけていたその時、久々にドラマ「理想の息子」の出演が

主演は山田涼介、中島が演じたのは山田の人気を妬む役で

自分の状況と重なっていた

 

ジャニー喜多川に言われた言葉を思い出す

事務所に入って間もない頃、すぐ売れっ子となった中島を妬む声が

「何があってもあんな風に腐っちゃダメだよね」

どんな状況でもベストを尽くすことを教えられた

 

これをきっかけに中島はどんな仕事も全力で臨むように

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